「人類は消滅すべきか」を拝読して

死後の世界で苦しむ人を減らすために、私達がなすべきことは?

本書の著者、《水波一郎先生》によれば、現代では、この世で普通に生きていた人が、死後、まるで地獄のような苦しみの世界へ落ちてしまうとのことです。

なぜならば、人の死後の行き先を決めるのは、生前の善悪の行い等ではなく、この世では肉体と重なっている、《幽体》という霊的身体の健康状態によるらしいのです。

その《幽体》の健康状態は、どんなに善人や人格者であっても、恨みの念を受けたり、《幽体》の穢れた存在と接触したりすると悪化してしまい、地獄のような世界へ落ちてしまうことになるのです。

そして、その地獄のような世界での日常が、あまりにも辛いので、霊的世界から、この世へ逃げ戻ってしまう《霊魂》が多いそうなのです。

もちろん、この世に戻った《霊魂》には肉体はありませんから、《幽体》の存在の《霊魂》は、私達の目に映ることはなく、触ることもできません。

でも、私達が肉体では感知出来なくても、《霊魂》達は、私達の《幽体》に影響を与えることが出来るわけで、それが問題なのです。

物語風に構成されている、本書の主人公である、剣人とカスミの二人も、死後の苦しみの世界から、この世へ逃げ出してきた《霊魂》です。

そして、剣人とカスミ達と、この世に指導に現れる上の世界の《霊魂》や、地獄のような世界から逃げてきて人間に悪戯をする《霊魂》、さらには、大悪霊との会話や議論が進んでいきます。

本書では、なぜ、霊的な世界へ旅立ったはずの《霊魂》の多くがこの世に舞い戻り、人間に悪戯をするのかが、分かりやすく説明されています。

また、人類はこの世から消滅すべきなのかというテーマを通して、今現在、この世に生きている私達にとっての最重要な問題が浮き彫りになっていきます。

そして今、この世にある私達に出来ることは何なのか?何をするべきなのかが明らかにされていくのです。

現代の不幸の連鎖を断ち切ることが出来るのは、《霊魂》ではなく、この世を生きている私達なのかもしれないのです。

そのためには、一人でも多くの方が、《契山館》で《神伝の法》を行って、《幽体》を健全化させていく必要があるのです。

《神伝の法》が、あなたを救い、あなたの愛する人々を救い、全ての人類、いや、全ての苦しむ《霊魂》をも、救っていくのです。

水波一郎先生著「人類は消滅すべきか」は、
紙の書籍のペーパーバック版が、
アマゾンで、販売されています。

byなおいー

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『幽体の悲劇』が 電子書籍化されました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書籍「幽体の悲劇~人は幽体と共に生きている~」

が、電子書籍キンドル版で発売されました!

 

肉体とは別の身体『幽体』が、どれ程私たちの人生に密接に関係しているのかが分かる、人生の教科書のような書籍です。

新しい生命の誕生、乳児期、幼児期、少年少女期、思春期、
そして大人になっても、仕事や結婚、妊娠や子育て、
そして老年期、そして他界後まで…。

人生における悩みの根源を霊的な側面で解説して頂ける、ものすごい書籍です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なおい―さんの記事、「幽体の悲劇」の感想もお読みください!

「幽体の悲劇」を拝読して

電子書籍の購入方法がわからないという方は、こちらの記事もご参考に!

はじめての電子書籍kindle本 インストールからダウンロードまで

by こま

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鼻毛石を求めて

鼻毛石交差点群馬県前橋市に鼻毛石町(はなげいしまち)があります。

鼻毛石という信号を通過するたびに、きっと鼻毛石があるに違いないと考えていました。
しかし、鼻毛石は見つけることは出来ませんでした。

それから、数十年。

ネットで「鼻毛石」検索してみると、物好きな同志がいるではないですが。
写真も載っています。

この地名の由来は「鼻石に草が生えており、それが鼻毛に見えたからという」 なんと期待通りのコメント。

これは、実物を見に行かなければいけない。
そう思い、車を走らせました。

着いてみると、看板には「鼻石」と書かれているだけです。
鼻の穴もよくわからず、酷暑のせいか鼻毛らしきものが見当たりません。

しかし、飛んできたケイトウの種が小さい花を咲かせています。

花毛石でした。

byイクラマン

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赤城山 女の観音様が寝ているらしい

関越道を走りながらの帰り道、ふと思い出したことがありました。
以前ラジオで「赤城山は、女の観音様が寝ている姿に見えるんだ」と年配の方が語っていたのです。

よくある話で、言われてみればなんとなく、見えるような見えないような、そんなものだろうと思いながら、赤城山に向って運転していました。

すると、「見える!、見える!!」誰かと共感したい気持ちになりました。

考えてみれば、じっと山を見つめることも無くなってしまったし、星空を眺めることもありません。
せせこましく生活し、心のゆとりも失ってしまったのでしょうか。

昔の人々は、この山を見つめ神様に祈っていたことでしょう。

 

byイクラマン

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「修行」のイメージ

修行と言うと、未だに難行苦行の印象が強いのではないでしょうか。

確かに、色々な意味で修行と言うと、心身ともに自分を追い詰め、そこから何かを掴み取るものなのかもしれません。

そういった意味では、修行法としての「神伝の法」もそうそう甘いものではありません。

個人的には、「霊的トレーニング」と言うより修行法と言った方が好きですが、やはり宗教色が強くなり受け入れにくくなるのかもしれません。

先日、「神伝の法」について人に話す機会がありましたが、やはり修行のイメージは難行苦行でした。

昔と違い、現代はインターネットで様々な情報が得られます。インターネットを活用しない人でも、本や雑誌で情報を得られます。

その両方を活用しない人もまだまだ大勢いると思います。霊的な事に興味があっても活字を読むことすら嫌いな人も大勢いると思います。

「神伝の法」は未だ有名ではないので、修行と言うと難行苦行というイメージになってしまうのは仕方ない事なのかもしれません。

そんな中、人に話す機会があれば、何とか修行のイメージを変えるために、なるべく「霊的トレーニング」と言う言葉を使うようにします。

そうじゃなくても、社会人は普通にストレスを抱え、精神的に追い込まれている方も多いと思うので、難行苦行では現代人からは縁の遠いものになってしまいますし、修行をしなければ救われないとすれば、現代人のほとんどの人が救われないということになってしまいます。

 

なので、「神伝の法」は、忙しい現代人のための霊的トレーニングだという説明をします。

時間的には短いものなら10分程度ですし、食事制限もなければ厳しい戒律みたいなものはありません。

 

普段の生活の中で取れる、少しの時間で続けていけます。

それでも、確実に人間を霊的進歩向上へと導いてくれます。

 

ではありますが、どうしても一度は合宿形式の研修を受けないと家に持ち帰ることは出来ません。

今後は日帰り研修もあるとのことですが、基本的に本やインターネットなどで習えるものではないのです。

霊的なトレーニングとは、神霊の御意志を受けた高貴な霊魂の指導の下で行うものなので、特別な霊的空間の中で指導を受けなければならない性質のものだからです。

ですが、それさえクリアしてしまえば、後は生活の中に組み込めば良いだけなのです。

・・・・・・・

という説明を加えると、またまた一線置かれてしまいます。

どうすれば「神伝の法」がもっと人々に受け入れられるのか悩んでしまう今日この頃でした。

 

「これしか救いがないのに・・・」

 

byガンリキ

 

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