群馬県嬬恋村(つまごいむら)にある鎌原観音堂(かんばらかんのんどう)の画像をご覧下さい。
変わっている所があります。
階段に橋が架かっていますが、水が流れている訳ではありません。
朱色の橋の下に階段が続いているのです。
天明3(1783)年8月5日(旧暦7月8日)、浅間山火口より12km離れた鎌原村(かんばらむら)は、浅間山の噴火による「土石なだれ」に襲われてしまいました。
村人570人のうち、477人もの命が失われました。
15段を残して村全体が土に埋もれてしまいました。
そして、観音堂にたどり着いた人のみが奇跡的に助かったのです。
約200年後の昭和54年に発掘調査が行われ、元々50段あったとわかりました。
5~6メートルも、土に埋もれていたのです。
その調査から階段に女性が二人、重なるように倒れているのが発見されました。
二人の女性は、40才くらいと60才くらいでした。
調査を進めると、若い女性が年配の女性を背負うように倒れていることが判明しました。
今でも「天明の生死を分けた15段」として語り継がれています。
余談になりますが、東日本大震災の津波の調査をしていた人が、あることに気づきました。
沿岸にある複数の神社の手前で津波が止まっていたそうです。
調査をした人は「神様がいるのではないか」と言っていました。
その時、僕は鎌原観音堂のことを思い出したのです。
もちろん神様が津波を止めたのではなく、過去に起きた災害を教訓として、その位置に移したのかもしれません。
それでも、昔の人々が神社や観音堂を、大切に守ろうとしてたことは相違ない事実です。
以前、コンビニの数と神社のどちらが多いか?
というクイズがありました。
コンビニが5万で、神社が8万だそうです。
僕は群馬に住み移り、近くにコンビニなど無くとも神社やお寺、関連する形跡は数知れずと感じます。(全国に同様ではないかと思います)
こうしたものが本当の力を発揮し霊的な灯りとなれば、夜の衛星写真【宇宙から見た夜の地球 リンク】のように、日本が神様や仏様という高貴な存在からも見えることでしょう。
「霊(ひ)の灯り 明るしこの世は 薄れゆく」
「友蔵の 気配を感じる イクラマン」
友蔵・・・漫画「ちびまる子ちゃん」のおじいさん
by イクラマン
♬♪ お近くの支部集会へ、ご見学に来ませんか? ♪♬
私も鎌原観音堂に行ったことがあります。この階段の話を目にした時、何とも言えない気持ちになったのを覚えています。
コンビニより神社仏閣の方が多いと初めて知りました。現代は便利が当たり前ですが、昔は信仰が当たり前だったと言う事ですね。
日本の霊的な灯りを想像すると、感慨深いものがあります。
友蔵って、こう書くのですね。
最後に「友蔵 心の俳句」みたいなものが浮かびました。
神社仏閣となると、さらに倍の数になると思います。
土地の特性を考慮して、昔の方々が大切に守ろうとされてたのが、窺えますね。
純粋というか、素朴にただ信仰するというのも今では難しいんでしょうかね。
今年、神社行ったかな^^;
専門家によりますと「鎌原土石なだれ」で、この観音堂が残ったのも奇跡的という見解もあります。
ギリギリだったことのようです。
古代古人であれば、災難に遭った時、「罪を許したまえ」 神の怒りを鎮めるために祈ったことでしょう。どこかに、後ろめたい気持ちを感じていたのかもしれません。
現代の人は、行政が悪いとか、誰の責任だとか、何かと他人に押し付けがちです。
自分を省みることが少なくなったように思えます。
昔、そんなに土に埋もれたんですね( ̄□ ̄;)!!
神社ってそんなにあるんですね~!
霊的に高級な場になれば凄い力になるでしょうけどね~。
今は高級じゃない^^;
身近に群馬支部集会があるので浮気はせず、いつも写真を撮るだけで、お参りをしていません。
信仰も押し付けでは、意味がありませんからね。
本気スイッチが入れば、高い霊的な力も降りて来ることでしょう。
いつも素敵な写真を有難うございます。
子供の頃読んでいた「まんが日本の歴史」に埋もれてしまった女性二人の話が載っていて、切なくなった覚えがあります。この神社なのですね・・・。当時であれば高級な幽気が降りていたでしょうか。この二人が救われていると良いのですが。
長野にも沢山の神社、仏閣があって、秋ともなるとお祭りが多く行われていますが、神輿に乗って騒いだり、出店ばかりがにぎやかだったりと、肝心かなめな信仰心はほとんど感じられません。
ハロウィンみたいな祭りばかり流行ってしまう日本では、普通に畳の上で死んだとしても、死後は、この女性二人が入った世界とはあまりに違う、おぞましい世界に入るしかありません。もっと明かりを点けなくては。
つたない写真ですが、うれしく思います。
観音様のお堂なので、細かく言うと神社ではないです。
浅間山の信仰は、富士信仰とつながりがあり、浅間山の祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)だったようです。
神仏習合の日本では、密教との結び付きもあり、神様を崇拝しながらも菩薩様を敬っていたのが、観音堂の近くの延命寺です。
このお寺は埋没してしまいましたが、その住職は、その時、村人と一緒に浅間山の中腹までご祈祷に行っていたらしいのです。
もしかしたら、助かった人々は浅間山の鎮静化を願って祈っていたのかもしれません。
浅間神社の祭神は、磐長姫命(いわながひめのみこと)になっています。長野県側でも同じだと思います。
しかし、これは明治になって政府から神仏判然令が出されます。この時から祭神が変わってしまったようです。
長くなりましたが、神様を崇拝しつつも菩薩様を尊崇していたので、細かいことを気にしなくても良いでしょう。
長野県は、有名なお寺や神社がありますね。
貴重な遺跡もあります。
地図を見ると、長野県は二県分の広さを感じます。
洪水で、土地が水につかっても、行政が、治水をきちんとしていなかったからだ、とか、川の土手の工事をはやくしていたら、とか、言いますが、結果論とも思えたり、自然災害など、どんなに、準備していても、土砂崩れなどは、予見できたとしても、もともと、山を切り崩して、海を埋め立てて、土地をつくっていたり、ダムも、人間が作ったもので、大雨で、ダムの貯水量が増せば、川下に流すしかないと思うのに。
後になって、行政が悪い、避難の放送が聞こえなかった、など、人には、限界があるのでは?と思いますが、身近な人が死ぬと、誰かのせいにしないと、自分の心が、落ち着かないのも、わかるような気もしますが、火山の噴火でも、震度計が反応していなかったとか、何かのせいにする気持ちは、いつの時代も変わらないのかなと。
神様にも、助けてと願い、聞き入れてもらえないとうらむ。人間って。自分が悪いと、なかなか認めない、
『認めたくないものだな、自分自身の若さゆえのあやまちというものを。』(シャア・アズナブル)の名言より
「恩は石に刻め、恨みは水に流せ」という立派な言葉があります。
その反対のことをしてしまうのが、人間というもののようです。
多くの人が、これを実践できれば、平和な世の中になることでしょう。
反面、本人の大きなストレスに繋がるような気もします。
深く考えれば、動物や植物といった生命を奪いながら、生きているのが人間です。
そんなことは棚に上げて、自分たち中心に思考を巡らせているのも事実です。
本当に、人が生きるとは矛盾ばかりです。
少し難しい話になりますが、キリスト教で言う、「原罪を知れ」ということでしょうか。
幸いなことに、この日本では古来より、人間が持つ罪や穢れの解消法として「禊」があります。
契山館では、難題を霊魂学をもとに紐解き、神伝禊法などの霊的トレーニングを指導しています。