武道の流派と弟子達 中編

私の武道を渇望する思いはきっと昔からあったのでしょう。ただ運動とかスポーツは大嫌いでしたし、いわゆる体育会系のノリも苦手でした。おそらく今もそうなのでしょうが中学校に入学すると半強制で部活動に参加させられます。田舎の中学校でしたので部の数もたかが知れています。

文化系が吹奏楽部と体育会系が陸上部とバスケ部しかありませんでした。極めて消極的な消去法でバスケ部に入部しましたが1ヶ月で辞めました。クソつまらなかった上に先輩、後輩の人間関係が超煩わしかったのが原因でした。『たかが1〜2年先にこの世に生まれただけなのに威張るなよ!』が当時の口に出さない口癖でした。結果、実質的に中学3年間は帰宅部です。

高校生になっても似たようなものでした。都会の高校で良い指導者でも居ればボクシング部くらいはあったのでしょうがよせば良いのにバトミントン部に入部し殆ど練習に参加しないまま3ヶ月で辞めました。その後、運動部に懲りて文化部の生物部に入部しましたが一度も活動することなく高校生を卒業しました。当時の生物部の部員は私の顔すら知りません。でも卒業アルバムには生物部在籍となっています。いわゆる幽霊部員と言う奴です。当時から幽霊には縁があったようです(笑)

やがてその後、専門学校を経て社会人になるのですが相変わらず運動とは無縁のままでした。でも武道をちゃんと学びたいと言う思いは持ち続けていたのだと思います。社会人になって会社にも慣れた頃、とあるフルコンタクト系の空手道場に入門します。フルコンタクトとは実際に殴ったり蹴っりする空手の流派のことです。これに対して主に型を重視して実際には殴ったり蹴ったりしない空手は寸止め空手と呼ばれます。東京オリンピックに採用された空手競技はこちらの方になります。

やっと待望の武道を習い始めることが出来ましたが残念なお知らせです。最初の半年こそ熱心に通っていましましたが1回昇級試験を受けて合格したもののやがて道場から足が遠のき始め2年後には退会してしまいました。これついては自己分析も終了しておりはっきりとした理由も申し上げることも出来るのですがあえて語るつもりはありません。

何故ならこの団体を信じ、更に上を目指し強くなりたいと思う修行者がまだ沢山居るからです。武道や格闘技は前回、申し上げたように物凄い数の流派、団体があります。格闘技や武道を始める理由も人それぞれでしょう。美容の為、運動不足解消の為、格闘技や武道をやってると言う肩書きを得る為、もちろんこの平和な世の中にあっても本気で天下無双を目指している武道家、格闘家も沢山います。だだ、どの様な理由で武道や格闘技を行なって居るにせよ今所属している団体、流派こそが自身の願望を具現化出来る最適解なのだと信じて疑っていないことです。

もし最適解だと思わなくなったら私のように辞める自由も学ばない自由も他の流派に鞍替えする自由も保証されています。でもその選択肢は自分の選択肢であって他人の価値観、選択肢とは無縁です。武道の修行者として他人の人生に口を挟むことは厳に戒めています。

私は幸運なことに自分が理想とする武道の師の元で武を学ぶことが叶いました。私の師との出会い、私の師の武道家としての破天荒さ、今も続く師との関係は非常に面白いお話になるのですがそれは是非、又の機会にお話したいと思います。

とにかく筋金入りの軟弱者(変な表現ですね)の私が武道を今日まで続けてこられたのは師の教えてに寄るところも大きいのですがやはり私と同じように師を慕って集った兄弟弟子の存在も大きいのです。私は15年くらい在籍期間ですがその2倍、3倍の期間、師の元で学んでいる兄弟子達もいます。彼等の凄いところは決して偉ぶらないところです。『俺は先輩でお前より在籍が長いからもっと敬えよ!』などと高圧的に感じたことはだだの1度もありません。師を敬い、強くなる為にたとえ後輩でさえも良いところを学び自分のものにしようとする向上心があります。

武道や格闘技は強さが全てなのだから強いものが偉ぶるのは当然では?

そう考える方もいらっしゃるかもしれませんがそれは完全に間違っていると断言できます。強さとはそんなに単純で底の浅いものではないのです。私は今の所属する団体では初段で黒帯を拝領しております。うちの団体は初段が最高段位ですのでこの上はありません。では私は強いのでしょうか?

いいえそんなことはありません。

私の師の元で1年間、センスがいい者であれば半年間みっちり修行した者であれば例え中学生であっても私は勝つことが出来ません。まともにパンチを当てさせてくれないでしょう。勿論、私にも多少の知識やキャリアはありますからボロ負けにはならないでしょうが勝つことはありません。それが正しい理論や法則にのっとり修行した者の姿なのです。

師の元で長年修行して来た弟子達は嫌と言うほどその事を理解しているのです。だから安っぽい自尊心や功名心、承認欲求で修行歴の浅い後輩に偉ぶってその場かぎりの快感を得たとしても自身が死ぬまで修行者であり進歩しようと努力し続けないかぎり簡単に立場が逆転することを知っているのです。

これってかなりカッコ悪いですですもんね!               私も嫌です(笑)

次回に続く

byゆたんぽ

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武道の流派と弟子達 中編」への3件のフィードバック

  1. 外国の方は日本の「侍」と言う言葉を好みますよね。

    個人的には「侍」と言うと何か潔さを連想します。

    武道に携わっている人には何故かそれを感じます。格闘技とはイメージが違いますよね。

    武士と侍はどう違うのか分かりませんが、武士の「もののふ」と言う読み方は好きです。

    武芸を修め、命がけで主君に仕える姿は、霊的修行者としても、憧れるところがあります。

    大切なことを理解していれば、自ずと紳士的になるのかもしれませんね。

  2. 格闘技は痛そうで、見るのもやるのも苦手なのですが(^_^;)、
    武道系の小説や漫画なんかを読むと、対戦相手を負かすことというより、戦う経験の中で、自分を成長させるロマンに、皆さん惹かれているような気がします。
    やっぱり人間、心のどこかで、自分を超えた何かに憧れる気持ちがあるからなんでしょうか。痛そうだけど(;´Д`)

    幽霊に縁のある?!ゆたんぽさん(^O^)、お怪我に気を付けて頑張ってください。

  3. ちょっと先輩だからって偉そうな人は嫌ですよね~(-.-;)
    僕もそういう人って嫌いだし、ああはなりたくない!ってずっと思っていましたよ。

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