「指導霊」を再読して(その1)

本書の副題は《死後の世界から人々のために》、更に《今こそ、指導霊の力を!》となっています。

本書では、明治時代の後期に生まれた、正枝という名の一人の女性を主人公に、彼女が他界後、霊的に成長し、この世の人間を霊的に導く《指導霊》となっていく姿が、霊的世界からの視点で記されています。

本書の「はじめに」において、著者の《水波一郎先生》は、

(引用始め)
「今回の主人公は、一般の人達から見ると、ずいぶんと上の世界に入っている。最近では、まず居ないパターンである。
滅多にないケースではあるが、指導霊の実際を知るには、大変良い主人公だと思っている。
まずはお読みいただきたいと思う。
皆さんの理想となるような、霊魂としての生き方だと思われる。
(引用終わり)

と述べておられます。

本書の「第2章 この世で」 「3 神仏」においては、この世で人間に悪戯をしている霊魂に対して、主人公の正枝を導いている親切な女性の霊魂は、

(引用始め)
「死後、どんな世界に入るのかを決めるのは、神様でも仏様でもありません。」
(中略)

「行ないが悪くて辛い世界に入るのであれば、何が悪いのかを説明してくれなければ、意味が分からないし、反省も出来ないでしょう。」
(中略)

「善い行ないとか、悪い行ないとか言っても、本当は難しい判断です。それを判断する人によっても、結果が違ってしまいます。そういうような曖昧な判断で、死後が決まるのではないのです。
幽体という霊魂の世界で使用する体が、過ごしやすい所に住むだけなのです。」
(中略)

「死後の世界は、結局、幽体の状態で住む世界が決まる、という事にすぎないのです。」
(引用終わり)

と述べておられます。

また、「第2章」「5 この世の人の救い」においては、

(引用始め)
「要するに、入った世界で、その後の幸福と不幸が、ほとんど決まってしまうという事なのであった。
そして、この世で生きている間に、信仰心を持つかどうか、それが、あの世の幸福を大きく左右するという事を(投稿者注:正枝は)知ったのであった。」
(引用終わり)

とあり、更に、「第3章 霊魂の世界で」「4 脱出」には、

(引用始め)
「霊魂の世界は、下に行けば行くほど、辛い世界であった。標準的な世界でも充分に辛い。それなのに、下は更に辛いのである。聞いた話では、形容出来ないほどの苦しみが待っている、という事であった。

そして、それは特別に悪い人だから、という事ではないようなのであった。何らかの理由で幽体が不調になっているにすぎない人なのである。そうなると、立派な人格者ですら、下の世界で苦しんでいる人がいると思われた。」
(引用終わり)

とあり、「第5章:物質の世界の集団」「4 食べる事」では、

(引用始め)
「上方の霊魂にとっての関心事は、何と言っても、物質の世界の人達の幽体の成長なのであった。これがないと、死後の世界で苦悩してしまう。これは、最大の課題なのである。
肉体の保持にとって、一番大事なのは食事の確保である。これがなければ生存できない。(中略)しかし、食事を得たら、次は、霊的な身体の事を考えてほしい。それが高級霊魂達の願いなのである。
人々の関心事は、一に、食べること、二に、その他である。そして、その他は、全て自己の欲望の達成である。(中略)欲望があるのは当然である。肉体を持っている限りは、誰でも欲望の塊である。欲望を全て捨て去ることなど、一般の人には無理である。
だからこそ、その欲の中に、霊的な進歩を入れるべきなのである。その上での欲であってほしい。それが高級霊魂達の願いなのであった。」
(引用終わり)

と述べられています。

この世を生きる私達人間には、肉体の他に《幽体》という霊的な身体が重なっています。

私達が肉体の死を迎えると、この《幽体》で《幽質界》という《死後の世界》へ入ることになります。

そして私達が、この世においても、《死後の世界》である《幽質界》においても、真の意味で幸せに生きるためには、《幽体》の健康状態を良くし、十分に成長させて、《幽体》から《オーラ》という霊的な光を、強く伸ばすようにしておく必要があるのです。

そうでないと、この世では、不道徳な霊魂の悪戯や、邪霊の悪意を持った干渉を受けやすくなりますし、他界後は《幽質界》において、想像を絶するような苦痛に満ちた世界へ落ちる危険が高まるのです。

なぜならば、肉体を持った人間同士を除けば、肉体を持った人間と肉体を持たない霊魂との間でも、あるいは霊魂同士であっても、《幽体》の成長度合いが近く、放たれている《オーラ》の強さが近い者同士でないと、互いに視界に入りにくく、影響を与えにくいという法則があるからなのです。

《幽体》の性質が近く、《オーラ》の強さが近い者同士でないと、明るすぎて眩しかったり、暗すぎたりして、視界に入りにくいということです。

不思議なことですが、《オーラ》の強さが近い者同士だと、お互いに眩しいとか暗すぎるとか感じないで、視覚しやすいのだそうです。

つまり、私達を霊的に成長させようと導いて下さる《守護霊》や、本書のテーマである《指導霊》は、《幽体》の成長度合いが高く、強いオーラを放っているので、私達の《幽体》が未成長で、放たれているオーラが弱いと、私達が暗すぎて、《守護霊・指導霊》の視界に入れず、指導を受けることが出来ません。

一方、《幽体》が、そのように未成長の状態だと、同様に《幽体》が未成長な、不道徳な霊魂の視界に入ってしまい、その影響を受けやすくなるのです。

また、そのような《幽体》の状態で他界すると、《幽質界》でも、同じように《幽体》が未成長でオーラが弱い霊魂が集まる世界へしか入れません。

《幽体》が成長して、強いオーラを放っている霊魂が集まっている世界では、眩しすぎて耐えることが出来ないのです。

そして、多くの場合、そのような《幽体》が未成長の霊魂が集まる世界には、攻撃的で、すぐに暴力をふるうような霊魂も存在しているので、苦痛と恐怖に満ちた世界となってしまうのです。

ですから私達は、何としても、この世にあるうちに、《幽体》を健全化し、成長させておくべきなのです。

《契山館》では、その事が一貫して繰り返し述べられています。

肉体を成長させるためには、食事が不可欠のように、《幽体》にも食事が必要だったのです。この《幽体》にとっての食事こそ、質の良い高級な《幽気》の吸収です。

ところが、昔と違い、現在は自然界には良質な《幽気》が存在しなくなってしまいました。

ですから、《神伝の法》の霊的トレーニングを行わないと、誰でも放っておけば、幽体の状態が悪化してしまうのです。

(その2に続く)

byなおいー

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「指導霊」を再読して(その1)」への3件のフィードバック

  1. 現代の地上の霊的環境はかなり劣悪だそうです。その影響を受け、普通に暮らしているだけでも幽体が不調になり、その結果死後辛い世界に落ちてしまうらしいのです。それを何とか阻止しよと活動して下さっているのが守護霊や指導霊です。定義には諸説ありますが、本当の守護霊、指導霊は高級霊です。安易に願いを叶えてくれるだけの存在ではありません。目には見えないし感じることもできませんが、私たち人間のためどれだけ苦労されているのか知っていただきたいです。

  2. 死後の世界には上下があって、自分の幽体と合った世界に行くってすごく簡単だと思うんですけどね~(´・ω・`)
    なぜこれを分かってもらえないのか??
    簡単で単純過ぎるとは思うんです。
    もし、そう思われる方は、ホームページなどをよく読んでみて下さい。
    もの凄く奥は深いですし、今までの疑問は全て分かるはずですよ(*´艸`*)

  3. 水波霊魂学の主張は一貫しています。
    単純で論理的で不可侵な法則を示しているだけです。
    今の地上世界の霊的危機状態にも繰り返し警鐘を鳴らしています。
    しかしだだ逃げろ危険だ怖いことが起こるぞと恐怖心を煽っているだけではありません。
    ちゃんと有効で確実な対策法を示しています。
    それは日常生活が普通におくれる人であれば老若男女、誰でも身につけることができるものです。
    難しい教義を暗記することも厳しく過酷で時間のかかる修行を朝、昼、晩と毎日、一日も欠かさず行う必要もありません。

    まずは興味を持って下さい。

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