病気は日々、作られる

前回、私の『時間=空間共感覚』の告白をさせて頂きましたがこの共感覚の副産物、記憶力が高い傾向が生まれると言う研究レポートにつきまして羨ましいと言うコメントを多数頂きましたが決して羨ましがられる能力ではないことを今回最初にお話しします。

一般的に記憶力はないよりあった方が良いと言う風潮がありますが確かにその部分に関しては私も同意見です。しかし私の記憶力は恐ろしいほどムラがあります。その例をいくつか挙げさせて頂くと先ず私は漢字が書けません。おそらく一般的なレベルから見れば下の中くらいだと思います。

しかし駄文とはいえ何回もこうしてブログに投稿しているじゃないかと仰る方もいらっしゃるかと思いますが実は私、漢字を読むことは得意なのです。だから文章を書いていても適切な意味の漢字をチョイスすることは出来るのです。今、この文章はスマホで書いていますがコンピューターが選択した漢字の候補の中から適切な意味の漢字を選択することは何の不安もありません、しかし書けないのです。本当にコンピューターが進歩して助かりました。もしこの投稿が手書きに限るという条件でしたら絶対に投稿していません(笑)

もう一つ私の記憶の不完全さを物語るエピソードを挙げさせて頂きますと私は人の顔が覚えられません。勿論、永久に覚えられないのという訳ではありませんがほぼ大丈夫という水準に達する為には5〜6回は面と向かう必要があります。告白させて頂きますと他の会員の方も顔と名前が一致するまで同じくらいかかっています。とはいえ谷深ければ山高し難なく記憶してしまうことがあることもまた事実です。

例えばコンビニで立ち読みした週刊誌の記事の内容を細かく覚えていたりテレビで紹介されたウンチクを記憶してたり何年も何十年も前の出来事を詳細に覚えていて話したり。それらを人に語ると「ゆたんぽさんは色々なことを知っている」とか「記憶力が良い」とかになるのですがこんなマダラだらけの記憶力便利ですか?

とにかく私の記憶力は興味の対象に当たるもの以外には発揮されることは先ずありません。だから六法全書を丸暗記出来る記憶があったとしても法曹界に興味がないと1ページも記憶は出来ないのです。本当にお金にはならない能力です。

加えてお話しさせて頂きますと私は学習障害児でした。『ADHD(注意欠如・多動性障害)』という病名はご存知でしょうか?細かい説明は割愛させて頂きますがかなり一般の認知度が高くなっておりますのでネットで検索すれば症状の詳細は理解して頂けると思います。

しかしチョット変なことがあります。私は第二次ベビーブーム世代なのですが私がこの『ADHD』を発症していた小学生の頃、日本にこんな病気は無かったのです。正確に言うと病名は無かったのです。『ADHD』と言う学習障害が日本に紹介されその認知度が高まったのは90年代後半、『ADHD』診断のガイドラインが策定されたのが2003年と21世紀に入ってからなのです。正直に言うと私のこの『ADHD』医師に診断を下された訳ではありません。ガイドラインに示された症状や行動がことごとく合致した為、ほぼ間違いないと自己診断した結果なのです。

今、私がもし小学生として今の時代に生きていたと仮定するならネットやメディアの情報、担任教師やその知識を持ち合わせている他人の勧めで私の母親は私の手を引いて専門医に相談していることでしょう。当然、『ADHD』と診断され投薬治療をはじめ有効と目される療法の数々を施されていたことでしょう。病人の完成です。

では当時、実際のところはどうだったのでしょうか?

当然のごとく、教師や親にはたくさん叱られましたし注意もされました。学期末の通信簿には常に「落ち着きがありません、集中して授業を受けましょう」「整理整頓の習慣をつけてましょう」と書かれていました。逆に言えばそれだけで済んでこうして立派な大人になれたのです!?

『病気は作られる』

時代が進み、知識と経験を重ね、医学が進歩して人間がしてきたことは病気の症状を分類し名前を付け原因を調べその治療法を見つけることでした。しかし数多の予防法、治療法、治療器具、医薬品を持ってしても最後は肉体の持つ自己防衛力、自己修復力に依存することは太古の昔から何ら変わりません。

病気とは『気を病む』と書きます。『気』とは目に見えません。その目に見えないものが病の元凶と先人たちは感じとっていたのかもしれません。今ほど医学が発達していなかった頃は原因が分からない病気はコミュニティーに一人や二人は居たであろう祈祷師やマジナイ師に加持祈とうを依頼して病気の回復を祈念しました。

おそらく原因不明の病気と言っても現代医学を持ってすれば病名は付くでしょうし症状を和らげる薬品は在ります、特効薬もあるかもしれません。でも病気から回復するには肉体が持つ回復力に依存する以外方法がないのは現代も人類が誕生した当初からも何一つ変わっていないのです。

肉体の不調の本当の原因は誰にも分からないのです。今は病気でも昔は病気とは思われなかったという私の例もあります。病気は人間が細分化し命名したことで増えているだけに過ぎません。それが現代医学の限界なのです。

本当の病気の原因、目に見えないものが影響しているのかもしれません。

byゆたんぽ

♬♪ お近くの支部集会へ、ご見学に来ませんか? ♪♬

☆  メールフォーム 

 

4 thoughts on “病気は日々、作られる

  1. 偏った記憶力でも、私的には羨ましいです(笑)

    水波霊魂学、そして霊的技術と現代医学のコラボ。

    誰か優秀なお医者さんにやってほしいです。

  2. 僕も漢字が全然書けないんですよね^^;
    でも、結構書けない人って多いと思うんですけどね~。
    昔は書けたはずなんですけど、普段はスマホとかパソコンを使っているから?全然書けないですよ^^;
    あと、ゆたんぽさんと逆で、人の名前が覚えられないんですよ~^^;
    顔は本当によく覚えられるんですけど、名前がなかなか出て来ないんですよね(苦笑)

  3. 私は相当変わった子供だったようですから、現代だったら何かの病名が付いたのでは?と思っています。

    私の場合、1つの事に拘ると、他の事は全く手につかなくなる傾向があります。

    その1つの事には、それなりの集中力が発揮出来る事もあるのですが、その他の事には意識が向きにくいです。

    ですから、学校で今は国語、次は算数、その次は社会などと進んでしまうと、対応が難しかったです。

    例えば、国語である言葉が気になると、算数の時間になっても、社会の時間になっても、その言葉から意識が離れないようなことがありました。

    大人になってから、だいぶ改善されたのですが、今でも、複数の事を同時進行させるのは苦手です。

    漢字は読むのは人並みですが、書くのは全く駄目で、形が覚えられなくて、線が何本あったか?など、度々分からなくなります。

    恥ずかしながら、常時、自信をもって書ける漢字は、自分の名前と自宅の住所くらいです。

    それから、人の名前が覚えられなくて・・・。
    一度覚えても、すぐに忘れてしまうので困っています。

    顔の方は、自分では覚えているつもりなのですが、面識のない方を知人と信じて話しかけてしまったり、逆に何度もお会いしている方に気付かなかったり、ということが多いです。

    ですから、支部集会等で失礼がありました時には、お許し頂ければ幸いです。

    人間の能力、個性というものは、本当に人それぞれですね。

  4. 記憶力って不思議なものなんですね!
    私はどの分野でも記憶には自信がないので、羨ましいです。
    せめて、霊魂学だけは忘れないようにしたいです!

なおいー にコメントする コメントをキャンセル