正義という仮面を被った悪意

ブログを投稿するにあたって私はゆたんぽというハンドルネームを使用しています。勿論、私はこの世に実在している人間ですのでちゃんと戸籍に登録してある本名もありますし居住地の住所も存在します。生きて行く為に仕事もしていますので勤めている会社もあります。

契山館群馬支部と言っても何百人、何千人と会員がいるわけではありません。ですから月1回の支部集会で顔を会わすのは顔も本名もわかっている人々の集まりです。なので私、ゆたんぽの本名と顔を知っていて交友の深さから職業や会社や自宅の場所を知っている会員もいます。その逆もまたしかりです。

私は基本的には余り他人には興味がありません。だから自分以外の人間が何を考えどう言う趣味嗜好を持ち何に強いこだわりがあるのか知ろうとしないし別に知りたいとも考えていません。一見するとドライな人間嫌いに思われるかもしれませんが違います。この私の思考と行動には強烈な意志と意味が込められています。

それは、「私が貴方の価値観と個性を許容し黙認したのだから貴方も私の価値観と個性を認めて干渉しないでください。間違っても私を変えようなどと考え行動しないでください。もしその禁を侵すというならそれは私に対する宣戦布告とみなします。私の持つ能力の全てを駆使して貴方を駆逐排除します。」ということなのです。

しかしこのルールはお互いの顔が見える状況、いわゆる同じ土俵に上がった者同士でしか適用されないルールです。しかし同じ土俵に上がりさえすれば意見や価値観の相違は埋められるかもしれません。完全に違う個性や人格ですので100%理解し合えるということは不可能ですがお互いの許容出来る範囲内でハードルは下げられるかもしれません。それでも相入れないというならば連絡を絶って縁切りをすればいいだけの話です。

お互いの素性を知っているということは反目するにせよ共闘するにせよ公平で対等な関係性だと言えます。そう言う意味では契山館群馬支部の会員仲間は同じ霊魂学の考えを世の中にもっと広めたいという思いを共有した同士だと理解しています。霊魂学という共通点を持って集ったのですから、いくら他人に興味のない私でも良い影響や刺激を受けてしまいます。もしかすると私自身も自分では気付かぬうちに何かしら他の会員に影響を与えているのかもしれません。

しかし今の世の中には世界をひっくり返せるほどの力と影響力を持ちつつも私のルールが通じない場所があります。

《インターネット》そうですネットの世界です。

結論から言いますと私はネットの世界の住人は基本的に悪意を持った人間しか居ないとおもっています。だから私はこうしてネットの世界に入り込んで情報を発信する時は素性を隠し〈ゆたんぽ〉という個性になるのです。何故なら私のルールを通せない異世界なのですから。

誰しも(私も含めてです)自分が悪であると微塵も感じていないでしょう。しかし匿名で正義の仮面を被った瞬間から紛れもなくネットの世界では悪意に変貌するのです。世の中にはイイエ、宇宙の摂理として絶対悪、絶対正義というものは存在しません。相対的な正義と悪が存在するだけです。それも人の数だけあります。

自身の正義からあるいは価値観からでも構いません。その思想は違う、その言動は看過出来ぬとネットの世界で匿名という仮面を被って情報発信者に意見した瞬間、悪意の一部となってしまうのです。この場合、自身の意見が正しいとか間違っているとか多数の共感、賛同を得られたことなどは全く関係ありません。仮面を被って物申したことが問題なのです。

もし自身の正義に一点の曇りもなく身命をかけて意見を言うというのなら素性を明かしてこそ初めて対等な立場になれるというものです。しかし安易に仮面を被る者こそ、その仮面を脱いだらどうなるか一番良く理解していると言うのも皮肉なものです。

とは言え我々のような小さな宗教団体がその主張を広く世の中の人々に伝える為にはインターネットという媒体は非常に魅力的です。資金も潤沢にあって会員や信者が何十万、何百万人という団体が行える活動とは当然のごとく雲泥の差があります。でも組織の大小によって主張の正誤が決まるわけではありませんので私は霊魂学での主張に確信を持った上で多くの人々の目に止まって欲しいと渇望しています。

しかしつい今しがたインターネット上での発信者を悪党呼ばわりした者の台詞とは思えないとのお叱りを受けそうですがちゃんとした反論は出来ます。先ず会員が素性を明かさずに主張をしている件については契山館の修行会員は皆、一般人でごく普通の生活を送っているからです。生活の為に仕事を持ち生活に支障のない範囲で自身の修行や広報活動を行っています。いくら正しい主張をしているからと言っても素性を明かしてネット上の悪意にさらされたら一溜まりもありません。生活すら立ち行かなくなるでしょう。それに発信している情報源はしっかりと明らかにしています。契山館のホームページであったり水波一郎師の著書の数々です。

そして誰とも議論するつもりも争うつもりもありません。ひたすらに霊的な真実を発信し続けるのみです。水波霊魂学の主張に背を向ける人がいたとしても何も言いませんし何もしません。(何も出来ないというのが正解でしょうか?)しかし非常に残念にはおもいます。ただ、もしホームページや水波師の著書を読んだ上でどうしても分からないことや聞いてみたいことがある場合は連絡して頂く必要はあります。そのようなことが出来る場所や時間を案内させて頂くことは可能なのです。

昔、インターネットとはどういうものだと聞かれた人が「インターネットとは膨大な広さを持った真っ暗な洞穴で宝物が眠っているかもしれないがゴミやガラクタもある。もしかすると毒蛇や毒虫が潜んでいるかもしれない。しかし可能性は無限にある」と答えたことがあったそうです。

苦しみだらけこの世の中に生まれて来ただけの甲斐があると思わせる至宝が此処にはあります。しかしその至宝を懐に大切にしまい込み一生掛けて磨き上げることも無価値な石ころと漆黒の闇の中へ投げ捨てることもどちら共、可能です。これは人間に与えられた神様さえも冒すことの出来ない『自由意志』という強力な人間の武器なのです。

byゆたんぽ

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正義という仮面を被った悪意」への4件のフィードバック

  1. インターネットは諸刃の剣ですよね。しかし、この時代一人でも多くの人に水波霊魂学と神伝の法(霊的トレーニング)を知っていただくには、膨大な広さを持った真っ暗な洞窟に、宝石を置いておて気付いてもらうしかないですね。ゴミやガラクタと間違えないでもらいたいです。

  2. 最近は匿名をいい事にメチャクチャな発言をする人が多いですからね~(-.-;)
    お互いに争ったりしてどんどん未熟な意識を刺激するでしょうし(-.-;)

  3. インターネットがなかったら契山館には出会えていなかったと思うので、幸運にも膨大な情報の中から宝物を見付けられた、ということなんですね。
    それでも、当時から私でも見付けらる程に、契山館関連のページは広くて、他にない説得力がありました。まずは、霊的なことに興味を持ってほしいですね。

  4. スポンサーの意向を伺う必要のあるテレビと違って、ネットは好き勝手できますもんね。
    まるで人間の自由意思を形にしたみたいに良いものも悪いものも全てごちゃまぜですけれど、正しい情報の輝きだけは、絶対に消しちゃいけませんよね。

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