本当にあった不思議な話。

私を含めた契山館の修行会員は日々、霊的修行に勤しんでいます。霊的修行者と言っても極めて一般的なごく普通の生活を送る人間しかいません。それぞれ将来に備えた学を修める為の学生であったり、生活を維持する為に働いている社会人しかいません。

霊的修行をしている理由も会員個々の理由と目的があって全員が同じ方向を向いて同じ価値観で日々の修行を行っているわけではありません。しかし霊的修行者に共通している日々の修行での変化は『霊力』の増加です。

修行を続けている目的は全員違えども正しく日々の霊的修行を行っていれば全ての人間が恐ろしい程の速度で霊力が増大していきます。

ここで非常に大切なお話をさせて頂きますが『霊力』と『霊能力』は全く別の力です。付け加えると霊能力者になることを目的として霊的修行を続けている契山館の修行者は一人もいません!

『霊能力』の定義としてはいわゆる幽霊が視えるとか幽霊のメッセージを受け取れるとか遠隔透視できるとか霊的な因縁をつまびらかにする、あるいは『浄霊』とか『除霊』と呼ばれる『祓い』が出来るとかを一般的に指すとおもわれます。この定義を『霊能力』とした上で話を続けさせて頂きますが契山館の修行会員は大きな『霊力』を修行で身に着けることによって『霊能力』に背を向けドンドン離れて行くことが修行が順調に正しい方向に進んでいる指標としている程です。

この『霊能力』『霊能力者』『霊力』については巻末にあります。水波一郎師の著書の中に詳しく記述されておりますので、よもや居られないとは思いますが『霊能力』が神様から授かった特別な能力だと考えている方はご一読の方を宜しくお願い申し上げます。

私は今も昔も自分が『霊能力者』だと考えたことは一度もありませんが私自身が体験した不思議な話や不可解な出来事はいくつかあります。霊的修行者になってからの話もありますが差し障りがあるといけませんので契山館に修行会員として入会する前に経験した不思議な話を今日はしたいと思います。

 

これは私が高校生の頃の話です。季節も丁度、今ぐらいの夏の話です。

私は学生時代の話を会話の流れの中でされた時、「部活は何をしていたか?」と言う話題になることがたまにあります。すると必ず私はこう答えます。

「3年間、サイクリング部で部長をやっていた」と、すると大抵の人は「凄いね」と言ってくれます。更に続けて私が「学校がある日は1日も休まず朝練、放課後練を欠かすことはなかった」と、話し相手は感心してくれます。「どんな活動をしていたの?」と聞かれると「朝練では坂道を下って、放課後ではひたすら登り坂を登って脚力を鍛えていたよ!」と、ここで相手は「ふーん」と言った感じになります。そこで私がまくし立てます。

「でもコースはいつも同じで朝練は家から学校までの片道、約4kmで放課後は学校から家までがコースなんだ!部員は俺1人で部長兼部員、サイクリング部があることは学校の人間は誰一人として知らないんだ」ここまで言うと話相手は一瞬、変な顔をしますが直ぐに全てを理解します。

そうです。私は3年間自転車通学をしていた単なる帰宅部だったのです(笑)

冗談はさておき高校のある場所と自宅のある場所の標高差は約200メートルあります。だから朝はペダルを漕ぐことなく学校に到着出来ますし帰りはその逆の全て登り坂になります。行きは自動車並みのスピードが出ますが帰りはひたすらペダルを漕ぎ続けなければいつまで経っても家に帰れない道のりでした。最初は大変だった登り坂の帰り道も毎日のこととなるとそれこそサイクリング部ではありませんが脚力も付き休まず一気に自宅に帰れるようにもなります(みちくさは食っていましたが)。

すると何の変化もない道中、おバカな男子高校生らしく色々な暇つぶしを考え始めます。その時は学校から家までのタイムを測ってその記録を短縮することにはまっていました。運動嫌いの私でも毎日こんなことをしていたら日々、タイムは短くなっていきます。同じ自転車通学の学生を追い抜かすほどに実力?もついて来ました。

その通学の道中、3桁国道を通る所があるのですがここは国道とは言え片側1車線の道で生活道路なので他の市道や農道と比べて交通量があります。車からも自転車が邪魔にされるくらいの道幅の国道です。この道は車もスピードを出して走っているので早く抜けたい区間です。

この国道の途中に神社があります。その周辺に住む人達がちょっとした祭りや地域行事が行える程度の広さの神社です。国道のカーブに沿って林と鳥居と小さな社殿のある神社です。その国道と隣接する林の中に太いけど曲がりくねった木が一本あります。御神木と言って良いくらいの太くて立派な木なのですが社殿からも鳥居からも離れた場所にあり御神木という感じではありませんでした。

私が今の自宅に引っ越して来たのは小学校入学のタイミングでした。この神社のある場所は学区が違う為にこの辺りに住む子供達とは交流が全くありませんでした。距離的には近いもののこの神社まで遊びに来たことは一度もありませんでした。なのでこの神社の前は車やバスで通過したことしかありませんでしたがこのグニャリと曲がった太い木のことは子供心に強く印象に残っています。

幼い頃の印象は「不気味な怖い木」でした。今はありませんが昔はこの木の近くに交通事故の注意喚起を促す立て札が立っていました。それが一層、子供心に恐怖心や不気味な印象を与えていたのかもしれません。

そして高校生になるとその場所は単なる通学路の一部になります。

とある夏の日、自転車で帰宅する途中でその神社の前につながる国道を走っていました。陽は高い状態でしたので土曜日か夏休み中の登校日の帰り道でした。その日も暑さにもめげずに坂道帰り道タイムトライアルをしていました。早く帰ってアイスを食べたいと全力でペダルを漕ぎ続けていました。

すると脇目も振らずひたすらペダルを漕いでいた私の自転車の背後から一台の自転車が付いて来ました。私はそれが自転車だと目撃したわけではありません。振り返って見ても居ません。何故、自転車だと思ったかと言うと自転車を漕ぐ時に出る「シャリ、シャリ」と言う金属チェーンの回転音が聞こえたからです。ここで私はサイクリング部、部長としてのアスリート魂に火が付きます。抜かされまいとよりピッチを上げてペダルを漕ぎ始めます。「何人たりとも俺の前は走らさねェ!」とばかりにムキになって全力で漕いでいます。

珍しく交通量が多い国道もその時はすれ違う車もないほどに一台の車も走っていませんでした。しかし後ろから迫る自転車の「シャリ、シャリ、シャリ」のチェーン音は迫って来ます。「やるなーコイツ!負けられん!」車も走っていなかったのでもっとスピードを上げる為に車道のど真ん中を走り始めました。帰宅坂道で負け無しのほぼトップスピードに達しました。このスピードではあと1分ぐらい漕ぎ続けるのが限界でしょうか。

しかし後ろの自転車を一向に引き離せないばかりかドンドン迫って来ます。「嘘だろー!」後ろも振り向かず全力で漕いでいます。

「シャリ、シャリ、シャリ、シャリ」

そしてとうとうチェーン音が私の真後ろから真横に差し掛かった瞬間。「ダメだー!コイツには敵わん!せめて俺を倒した相手の顔を見てやろう!」と横を向いた瞬間。

チェーン音は消えてそこには私しか居ませんでした。ブレーキをかけて周りに自転車を探しましたがそこにいるのは私一人でした。ただ私の道を挟んで向かい側の林にはグニャリと曲がった神社の太い木が鎮座していました。

幼い頃に怖かったあの大木です。‥‥‥

 

これは本当にあったお話です。しかしその当時も今現在もこの話を怖い話だと感じたことはありません。ただ、ただ不思議な体験だったと想うのみです。

byゆたんぽ

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本当にあった不思議な話。」への5件のフィードバック

  1. サイクリング部部長のくだりのオチは、身近に似たような境遇の人が居たので途中で気付きました(笑)

    後を追ってくる人の気配の話しは、水波霊魂学の知識があれば理屈も分かり、怖い話しではないですが、これを稲川淳二さん風に語れば、十分怖い話になりそうですね!

    この季節にピッタリかも(笑)

  2. 怖い話ですね~((((;゜Д゜))))ブルブル
    普段から自転車に乗っている人なら、自分の自転車の音は分かるし、他の自転車の音も分かるので、本当に聞こえていたと思いますよ~((((;゜Д゜))))ブルブル
    昔なら、怖かったですけど、霊魂学を知ると、
    未熟な霊魂が間気を使って耳元で音を出していたとか、脳を操って後ろに誰かがいるように感じさせたとか、幽体が何かを感じていたとかだいたい分かるし、
    幽体を成長させれば、そんな事も起こらないので安心ですよ(*≧∇≦)b
    ぜひ幽体を成長させてください!

  3. 私は《契山館》の修行会員になる前には、怖い経験をしたことがありますが、有難いことに、入会後はピタツとおさまりました。

    私にとっては、その事も《契山館》が本物だと確信出来た根拠の1つです。

    ところが、1年ほど前に、自宅近くの真っ暗の道で、蒼白い人の顔らしきものが、空中を漂いながら近づいて来たものですから「幽霊だ!」、とドキッとしたことがありました。

    でもそれは、暗闇の中を、スマホの画面を見ながら歩いていた、この世の人でした(笑)。

    そういえば、私もなぜか、木が怖いと思うことがあります。

  4. 私も中学生の頃は自転車通学でした~。家が小高い住宅地だったので、自転車を降りずに家に着いたのは、数えるほどしかありませんでしたねぇ。確かに、部活の練習みたいに苦痛でした。。。(*´ω`)

  5. 私も自転車通学だったので、なんだか懐かしいです(´▽`)

    長野県人は皆車に乗るので、脚力が衰えがちですよね!(^_^;)
    肉体の力が落ちると、この世で色々不都合が増えますが、幽体の力が落ちると、この世でもあの世でも悪い影響が出てしまいます。

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