【新】本当にあった不思議な話。

水波霊魂学には『守護霊』『指導霊』『補助霊』の主張がありますがこれらの『守護霊』等の主張は内容や定義は他の宗教やスピリチュアリズムによって微妙に異なっていますが概ねその存在に対しては肯定的なものが多いようです。

私も『契山館』の修行会員になって『水波霊魂学』によってもたらされた『守護霊』『指導霊』『補助霊』の正確な情報を得てその役割や今現在の『守護霊』『指導霊』『補助霊』を取り巻く過酷な状況や絶望感漂う物質世界の霊的環境を学ぶことが出来ましたがそれ以前のずっと前の幼少の頃から『守護霊』というものが間違いなく存在していると確信した出来事がありました。

本日はそんなお話です。

『守護霊』とか『指導霊』が存在するという主張はかなり歴史が古くその全てを紐解くことはかなり困難な話です。しかし時代や場所『守護霊』に対する呼称などが違うものの霊的な守護や霊的な知識を啓蒙し指導を行ってくれることに関して『守護霊』が携わっていることは、ほぼ共通している認識のようです。

この日本において『守護霊』の名称を一般人に対して認知させ一気に広めたのは漫画『うしろの百太郎』だと私は考えています。

これは1973年〜1976年に週刊少年マガジンと月刊少年マガジンに連載された漫画家つのだじろうの代表作と言えるものです。後に90年代になってOVA化されたりドラマ化もされたそうです。1970年代と言えば第一次オカルト・超能力ブームの頃で時代の流れにも乗って大ヒットした漫画です。

題名にもなっている百太郎とは主人公の後 一太郎の『守護霊』で(劇中では「主護霊」となっており他の守護霊、指導霊、補助霊のトップに当たり他の守護霊達に指示を出す格上の存在として描かれています)心霊科学を研究する父親、後 健太郎、テレパシーで人間と会話する霊能犬ゼロと共に数々の超常現象を解明していくといったストーリーです。

年代的にリアルタイムで連載されていた頃は私はまだ小学生で全話を通して読んだのは単行本化されたものを高校生になって書店で立ち読みした時でした、当時は書店での立ち読みは今ほど、うるさく邪険にされず緩い時代でしたので読みたい漫画は殆ど立ち読みしていました。夏のお盆が近づいて来る季節には必ずこの「うしろの百太郎」と「はだしのゲン」が書店の漫画コーナーに必ず陳列されましたので何時間も立ち読みしていたことが懐かしい思い出です(笑)。

私が体験した不思議な出来事は丁度、この「うしろの百太郎」がリアルタイムで連載されていた小学校2〜3年の頃でした。話自体はシンプルで短いものなのですが自身の通っていた小学校の教室で実際に起こった話です。

今でもそうなのでしょうが、授業と授業の間には休み時間があります。高校生くらいなるとそれは移動時間に当てられますが私が小学生の頃は体育や音楽、理科の実験でもない限りは同じ教室で授業を受けます。なのでこの休み時間は移動時間に費やされこともなくほぼ、ほぼ遊びの時間になりました。

今は時代の流れで鉄筋コンクリートの校舎に建て替えられましたが当時はオール木造の田舎によくある味のある小学校でした。当然のことながら備品の机や椅子も木製でした。何故かは分かりませんが使用されていない机が一台、壁の傍に置いてありました生徒が使うものと同じものです。今なら当然、倉庫にでも入れておくのでしょうが不思議と使わない机が教室の隅に置きぱなしでした。

当時の私は活発な方でかなりの悪ガキでしたから親からはいつも「ゴタ」と呼ばれていました(こちらの方言で親の言うことを聞かない手を焼かせる子供という意味です)。なのでとある日の休み時間もクラスメートの悪ガキ仲間とヒーローごっこでもしていたのでしょう休み時間の教室で遊んでいました。何かの拍子に私はその机の上に乗って遊びを続けました。小学校低学年が使う机ですので高さは60cmくらいでしょうか?壁にぴったり沿って置いてあることから安定していると考え机の上に乗ってヒーローの決め台詞でも叫んでいたのだと思います。その当時の身長は平均的でしたので昔の小学生の平均身長の統計データを調べてみると120〜125cmでしたのでおそらくそのくらいだったと思います。

机の上に飛び乗り遊んでいると机が壁とは反対側に当然倒れ足をすくわれる形で頭からまっ逆さまに落ちたのです。机が倒れるなどと微塵も考えていなかった私は一切の受け身を取ることも叶わず頭と頸椎を下にして60cm+120cmの高さから落ちたのです。今の私の身長が178cmですからいくら木造校舎とは言え真後ろに一切の受け身を取らず昏倒したらただでは済まないことは想像に難くありません。

しかし何十年も経過した今でさえあの時の感覚はハッキリと覚えています。

《フワリと身体が何かに支えられて静かに床に着地したのです。》

勿論、人間が生死に関わる事態に陥った時に脳の処理速度が急激に上がって周りの景色がスローモーションに見える、いわゆる「クロックアップ状態」もあったと思います。しかし脳の処理速度が上がったとしても受け身を取れずに頭から落ちたと言う事実は変わりません。私は結果的に怪我一つする事も学校が大騒ぎになることもなくそのままその後の人生を無事に今日まで送っています。しかしさすがにその事件を境に後先考えず無謀な行動はしなくなりました。

下手をしたら死んでいたかそうで無くても学校に救急車が来て大騒ぎになる出来事です。もし今、私の前で子供が同じような事故に遭っているのを目撃したら例え子供が何の異常も訴えずケロリとしていても必ず救急車を呼んで精密検査を受けさせます。そのくらい危険な落ち方なのです。周りにいた友達は多少ビックリしたのでしょうが、また直ぐに遊びに戻った私を見て何事も無いと考えてきっと当時の記憶すら残っていないでしょう、勿論、危険なことをしたことに対して叱られることが分かりきっていたのでこのことは教師にも親にも話さずじまいでした。

私が体験したことはもしかしたら『守護霊』様とは関係ない幸運が重なっただけの単なる偶然だったのかもしれません。しかしその後の人生から今日に至るまでの間、人間を霊的災厄から護り、霊的成長の為に全力を尽くしてくれる存在が居ると信じるに十分値する出来事だったことは揺るぎない事実なのです。

終わり

byゆたんぽ

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【新】本当にあった不思議な話。」への4件のフィードバック

  1. 本人にしか分からない確かな感覚。
    きっと人に説明しても単なる偶然としか思われないのかもしれませんが、茶目っ気が過ぎたゆたんぽさんへの、その後のメッセージを込めた現象だったのかもしれませんね。

    霊魂学的にはどうなのでしょう?幽気?間気?猫バスが通り過ぎた?(笑)

  2. 不思議ですね~。
    守護霊様が必死に間気とかを下に詰めたのかも(*´艸`*)
    今の時代の子供は守護霊から見えないので無理でしょうけど^^;

  3. 本当に不思議な体験ですねぇ。(・o・)
    信じるきっかけになったということは、やっぱり、そういうことだったのかもしれないですね。(*^_^*)

  4. 『うしろの百太郎』タイトルは知っていましたが、そんな内容だったんですね!昔は霊的な事柄が今よりずっと普通に題材として使われていた感じですね。

    ゆたんぽさんの経験談、興味深いですね。
    こういう経験をされている方って実は他にもいらっしゃるかも?
    私の知人にも同じような体験をした人がいて、その人が言うには「長いこと霊的な事柄を否定していたけれども、実は内心守護霊がいると分かっていた。でもそれを肯定してしまうと、世間的な「普通の人」から外れてしまいそうで怖かった。」とのことでした。
    守護、指導霊方は、霊的な事柄が分かるように色々な形でキッカケを与えようとされているかもしれませんが、マスコミの流す情報は霊的な事柄を完全否定させるような内容ばかり。心の中でふと「何か不思議な力があるのかもしれない」と疑問に思っても、考えさせないように可能性を縛ってしまっているように感じています。
    守護霊、指導霊方の苦悩は、時代とともに深まるばかりなのでしょう。

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