祈りは神様には届かない

皆様の中には、神社などで神様に祈ったり、祈願をするという方がおられるかもしれません。

しかし、残念ながら、人間の祈りが、神様に届くことはないそうです。

究極の神様のことは、あまりにも遠いご存在過ぎて、私達人間には想像が出来ません。

そこで《神質界》におられる《神霊》と呼ばれる最高級の霊的存在が、私達にとっての実質的な神様だと考えられる訳ですが、その《神霊》も、あまりにも偉大な異次元のご存在です。

何しろ、通常の人間では持ち得ない、《神体》という霊的身体で存在されているのです。

もし、《神霊》に祈りが届くとすれば、祈る側の《神体》から、祈りが発せられる必要があるのですが、私達は、そもそも《神体》を所持していないのですから、《神霊》に届く祈りを発しようがないのです。

《神霊界》の下には、《霊質界》という世界があって、そこでは《霊体》という身体で、《神霊》に仕えておられる《高貴な霊魂》の方々が、活動されているそうです。

実は、私達人間は、通常、思春期を迎える頃になると、この《霊体》を所持するようになるそうです。

でも、余程、特別な霊的トレーニングを積んだ方以外の《霊体》は未成長で、とても《霊質界》の《高貴な霊魂》の方々に、祈りを発することなど出来ません。

そもそも、私達の肉体脳内の心の動きが、霊的世界へ届いたり、それを《霊魂》が感知する、などということはありません。

《霊魂》は肉体脳を持ちませんから、人間の肉体脳内の心の動きが感知出来ないのです。

よく、スピリチュアルの世界などで、心の波長によって、同通する存在や世界が変わり、その同通した存在を引き寄せる、などと言いますが、それは誤りだと言えます。

心の波長は肉体脳内のものであり、それがスピリチュアルな世界に通じることはないのです。

さて、しかし、私達には肉体と重なった《幽体》という、もう1つの霊的身体がありました。

私達が心を込めて祈りを行えば、この《幽体》の脳から念が発せられて、その念となった祈りは、《幽体》で生活している《霊魂》に届く可能性があります。

ただ問題は、その《幽体》から出た祈りの念が、どのような《霊魂》に届くかということです。

私達には、《守護霊》や《指導霊》と呼ばれる、私達が霊的に進歩・向上して、死後、《幽質界》の下の世界に落ちて苦しむことがないように、助力をして下さっている《高級な霊魂》がおられます。

ただし、《守護霊》や《指導霊》は、《幽体》がとても成長しておられるので、私達の《幽体》が不健全で未成長だと、私達の幽体は、その視界にすら入らないそうです。

助力がしたくても、対象者が見えないのでは、何も出来ません。

このように、お互いの《幽体》の成長の度合いが、近い存在同士でないと、交流が出来ないのです。

祈りもそうです。

私達の《幽体》が鍛えられていて、健全で成長していれば、《守護霊》や《指導霊》には届かなくても、その部下として働いておられる《補助霊》には届くでしょう。

《補助霊》に届けば、《守護霊》や《指導霊》に伝達され、必要があれば、さらに上位の《霊魂》の方々に伝わるかもしれません。

しかし、忘れてはいけないのは、《守護霊》や《指導霊》は、私達のご利益を叶えるための便利屋ではないことです。

《守護霊》や《指導霊》が願っておられるのは、あくまでも私達の霊的な成長です。

ですから、私達の霊的な成長に結び付かないような祈りには、絶対に耳を貸されることはありません。

そして何よりも怖いのは、《幽体》が不健全で未成長な状態で、安易に祈りの念を発することだと言えましょう。

そのような祈りの念をキャッチするのは、念の発信者と同様に、《幽体》が不健全で未成長な霊魂だからです。

それは肉体の死後、その《幽体》の性質の低さ故に落ちた、《下層の幽質界》での苦痛に耐えきれずに、この世に舞い戻った《霊魂》である可能性が高くなります。

そのような《霊魂》の中には、私達に悪戯をして楽しむことを、生き甲斐にしているような、《不道徳な霊魂》も少なくありません。

《不道徳な霊魂》は《幽体》の性質が低いので、この世では活動しやすく、結果に責任を持たないので、利己的な内容の祈りを実現させるために、動くようなこともあるようです。

でも、そのような存在の活動の結果、祈りが実現したとしたら、後が大変です。後で、どのような見返りを要求されるか、分からないのです。

下手をすると肉体の死後は、《不道徳な霊魂》が待ち構えていて、その手下としての、悲惨な運命をたどることになりかねません。

また中には、《幽体》が不健全で未成長であるというだけで、悪意があるわけではない霊魂が、親切心から祈りを叶えようと動くようなこともあるようです。

ただ、いずれにしても、通常、物質界であるこの世において、肉体を持たない霊魂に出来ることは少ないですし、例え不道徳な霊魂や未熟な霊魂の活動によって、祈りが叶ったとしても、それが私達の真の意味での幸せに、結び付くことはありません。

現代は、この世の霊的環境が著しく悪化しているので、何も対策を取らずにいると、私達の《幽体》が不健全で未成長になって、《守護霊》や《指導霊》の視界から消えてしまうそうです。

その結果は、《不道徳な霊魂》の干渉を受けて、思わぬ不幸に見舞われることになったり、死後は下の世界に落ちたりと、良いことはありません。

《死後の世界》での行き先を決める基準は、この世の善悪ではないので、《幽体》が健全でなければ、悪人とは言えない普通の人や、善人や人格者と呼ばれる人でさえも、死後は苦痛に満ちた下の世界へ落ちてしまうのです。

それを防ぐためには、今のうちに、何としても《幽体》を鍛えて、健全化させ成長させておかなくてはなりません。

そのための、一番、確実な方法が、いや、はっきり申し上げれば唯一の方法が、《契山館》で指導されている、《神伝の法》などの《霊的トレーニング法》を習得して実習することです。

どうか一人でも多くの方に、一日でも早く、《神伝の法》の《霊的トレーニング》を、始めて頂きたいと願っております。

なお、《契山館》では、強引な勧誘等は、一切、行っていませんし、会員の退会も自由な、自由意思を重んじる団体ですので、どうぞご安心下さい。

byなおいー

 

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祈りは神様には届かない」への3件のフィードバック

  1. このブログをご覧になっている方は、昔からいろいろ知られている主張を一度リセットして見てはいかがでしょうか?

    それからジックリ考えてみて下さい。

    霊的な主張も、新しい発見があれば考えを正すべきだと思います。

    自分が信じてきたことを変えるのは勇気がいることですが、本当のことを知るチャンスだと思います。

  2. 少し昔であれば、霊的な成長に繋がる願いであれば、守護霊指導霊に届いたでしょうけど、
    今では霊的な環境が悪過ぎて、霊的な成長に繋がる事でも、未熟な霊魂に伝わってしまうそうです。
    こんな世の中では、神伝の法を行って幽体を成長させるしかないです。

  3. 「念」「幽体」の仕組みを知らないと、祈った積りの相手と全然違う相手に伝わってしまいます。

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