先日、明治時代後期から大正時代にかけての、日本の庶民の生活を描いた小説を読む機会がありました。
当時の日本人の、特に地方の庶民の生活は、現在では考えられないほど貧しく、食物を口に出来ない日があったり、義務教育であったはずの小学校にも通えない子供達が多かったそうです。
しかし、当時の日本人の大半は、まだ、何らかの神仏への信仰心を失ってはいなかったようです。
やはり、伝統的な仏教徒が多かったようですが、それはいくつかの新興宗教が台頭してきた時代でもありました。
そして、新しい宗教は、いつの世も古い宗教を否定することが多い故に、旧勢力からの迫害を受け易いというのが、世の常のようです。
一方でこの時代は、旧帝大出身者のような、現代で言うところの学者や、知識人が台頭してきて、庶民に影響を与え始めた時代でもあったわけです。
おそらく、学者や知識人の目には、一般的な庶民の持つ素朴な信仰心が、愚かで盲目的なものとして映ることが多かったのでしょう。
たとえば、「神が存在するなら、なぜ信仰者が貧しさから脱却出来ないのか?」とか、「神が存在するなら、なぜ戦争や事故が起きるのか?」、「神がいるのなら、なぜ必死に病気平癒を祈る信者の命を奪うのか?」などのように、合理的な理性を重んじる彼らは、宗教や信仰に対する否定的な心情を、膨らませていったのかもしれません。
その小説の主人公の「人間の偉大さを自覚することにより、人間は神へ挑戦する精神を持つことが出来る」といったような内容の思考は、上記のような傾向性を象徴しているように感じられました。
おそらく、このような流れから、神仏や信仰心を否定することが、人間の進歩であるかのような、誤った風潮の蔓延が始まったのでしょう。
そのため、当時の新興宗教では、「信仰生活に学問は不要で、勉強して学者のようになることを神は喜ばない」などとして、人々が論理的・理性的な思考パターンを身に付けることが否定されることも多かったようです。
さて、実際はどうなのでしょう?
当時の方々の素朴な信仰心には、尊い面もあったことでしょう。それを失わずに人類が過ごせたとすれば、それはそれで幸せなことだったのかもしれません。
しかし、問題の根底にあるのは、人類の歴史の中で語り継がれてきた神仏が、実在の神仏ではなく、人間の想像によって創作されたものであったことのように、私には思えます。
人間にとっての事実上の《神》は、《神霊》と呼ばれるご存在になるわけですが、《神霊》は、私達人間が直接交流することが不可能なほど、偉大で遠いご存在です。
通常は、人間に直接関与されることのないご存在なのです。
ですから、貧困も戦争も事故も病気も、《神霊》が関与されているわけではありません。すなわち、それらの不幸がなくならないとの理由で、《神霊》の存在を否定することは、全くの筋違いだと言えましょう。
元々は、上位の霊魂の方々の反対に耳を貸さずに、そのような悲惨な不幸が起こり得る不自由な物質界に、熱望して生まれてきてしまった、私達人類の自己責任だと認識するべきでしょう。
では、私達人類には救いがないのでしょうか?
いいえ、そのようなことはありません。
現代は、通常は私達人間とは接点のない《神霊》が、この物質界に《救いの神》として降臨しておられる奇跡の時代です。
その《救い》は霊媒の《水波一郎師》を通して、《水波霊魂学》と《神伝の法》として、私達に眼前に示されています。
《水波霊魂学》を学んで霊的な真実を知り、《神伝の法》の霊的修行を行って霊的に成長すること。それこそが私達にとっての唯一の《救い》なのです。
肉体の脳によって生み出されたものは、宗教教義にせよ学問にせよ、この世では有益でも、人間を霊的に成長させることは出来ないと言えるでしょう。
しかし、霊的世界に実在する《高級な霊魂》から伝えられる霊的な真実は、本来、《霊的生命体》である人間にとっては、必要不可欠な《霊魂学》なのです。
byなおいー
神は物質の存在ではないですからね~。
それなのに、自分勝手な物欲を祈って、叶わなかったから神がいないっておかしな話です(-_-;)
神は物質の存在ではないから、分からないだけで、確実に存在しています(`・ω・´)
食べなければ生きて行けないこの世は、苦しみの連続だと思います。
世界で、人々がどれだけ悲惨な死に方をしても、祈りは神様に届きません。それは、霊的世界にも法則があり、その祈りが法則に則っていなかったと言う事だったようです。
神霊は実在します。
どれだけ科学が進歩しようと、人類が神を超えることはありません。
「二本足の霊魂Kindle」https://www.amazon.co.jp/dp/B07GSLQXJ1/ref
これも是非読んで欲しい一冊です。
神への挑戦・・・・。
霊的な見方をしなければ、まるで美しいことを行っているかのように思ってしまいがちな内容ですね。
科学が進みすぎてしまって、人間は物質界の王様のようになってしまいましたが、物質界でどんなに「神はいない」と思ってみても、どんな時でも人間にとって一番大切なことは神霊という高貴な存在を求めることなのだそうです。
それを見失ってしまえば、残念ながら死後は下の世界にはいることになってしまいます。
生きているうちに一人でも多くの方に霊的な法則を知っていただきたいと思います。