久し振りの宗教書

自宅の書棚を整理していたら、私が30~40年ほど前に入会していた宗教の書籍が目に留まりました。

《契山館》に入会してからは、他の宗教の書籍を読むことはなかったのですが、久し振りにページをめくってみると、次々と以下のような文章が目に入ってきました。

(1)人間がこの世に生まれるのは魂の修行をするため。

(2)他人を不幸にする人が地獄へ行き、他人を幸福にする人は天国へ行く。

(3)もらう側より、与える側の人生を送ることが大切。

(4)地獄に落ちないためには、心の清らかさが大切。

(5)人格が高い人が地獄で苦しむことはない。

(6)死後は生前の言動だけでなく、心の中で考えていたことまで、閻魔様に裁かれる。

(7)死後は、自分が死んだことに気づかず、迷っている人が多い。

このブログをお読みの方の中には、その通りだと共感される方がおられるかもしれません。

私も《契山館》と出会う前は、これらの教えこそが霊的な真実だと、信じて疑ったことはありませんでした。

ですから6年ほど前に、《契山館》で初めて《水波霊魂学》と接した時には、その違いに驚き、いったいどちらが真実なのだろうか?と1ヶ月間ほど迷い続けました。

ちなみに(1)~(7)は、いずれも《水波霊魂学》では、誤りだとされています。

詳しく考察すると、各々の項目ごとに、一つの記事にする必要がありますので、ここでは簡単に説明します。

(1)の説 の前提は、人間は自らの魂の修行のために適した両親や環境を選んで生まれてくる、ということなのでしょうが、通常はそういうことはないそうです。

生まれてきたのは生殖行為の結果であって、修行という目的を持って生まれた訳ではなく、むしろ生まれてしまったので、修行せざるを得なくなった、というのが真実なのだそうです。

次に、《幽質界》へと帰った時に、まるで天国のような上の世界へと入れるか、地獄のような下の世界へ落ちてしまうのか?それを分ける基準は、(2)~(5)にあるような、善悪でも、愛の深さでも、心の清らかさでも、人格の高低でもないそうです。

それらは、この世においては価値あることだと言えましょうが、あくまでもこの世の中でのことで、別次元の《幽質界》での行先を決める基準とはなり得ません。

《幽質界》での行先を決定付ける唯一の基準は、肉体と重なっている《幽体》という霊的身体の状態なのだそうです。

《幽体》が健全であれば、《幽質界》では上の世界へと入れますが、《幽体》が穢れていたり傷ついていたりして不健全だと、下の世界へと落ちてしまうのです。

そして《契山館》では、《幽体》を健全化させるための、世界で唯一の安全確実な霊的修行法、《神伝の法》の指導がなされているのです。

(6)に関しても、心の中の考えは、あくまでも肉体の脳内のことで、霊的身体である《幽体》の状態との直接的な関連はないと考えられます。また、《幽質界》では、《幽体》の性質が釣り合う階層へと、法則で移動するだけなので、閻魔様は実在しないそうです。

(7)に関しては、何日も食べなかったり、寝なくても平気な状況等から、死んだことに気づかない人はいないそうです。

残念ながら、《契山館》の主張が正しいと客観的に実証する術はありません。

しかし、実際に《水波霊魂学》を学び、《神伝の法》の研修会や諸行事に参加するする経験を積みますと、《契山館》の主張こそが本物であるとの、実感が得られるようになるものです。

私は、《契山館》と出会うまで約40年の間、数百冊を超える書籍等で、(1)から(7)のような宗教的な教義を学び、多少の修行を行ってきました。

けれども、10代だった私が50代になっても、同じような失敗を繰り返すだけで、霊的に進歩・向上したとの実感を、ほとんど得ることが出来ませんでした。

50代の半ばになっていた私は、このまま同じことを平均寿命まで続けても、大きな変化は得られないのでは?という現実に気づいて、途方に暮れていたのです。

そして、その時に出会ったのが《契山館》だったのです。

私が《契山館》と出会ってから、まだ6年。本格的な《神伝の法》の修行を始めてからは、まだ4年半ほどに過ぎません。

しかし、《契山館》と出会ってからは、人生の霊的な密度が100倍は高まったかのようです。

今の1年間の修行は、まるで100年分の修行に当たるかのようです。《契山館》を知る以前の私では、数千年続けても、とても追い付かないほどの修行の成果が、得られているように思えています。

決してオーバーな表現ではなく、これでもかなり控え目に、お伝えしているつもりです。

いや、《神伝の法》は、本来、比較の対象を持たない、正に異次元の修行法だと言うのが真実なのかもしれません。

このような奇跡の修行法が、手を伸ばせば届く所にあるのが、現代の意味です。

おそらく、2度目はないであろう現代の奇跡。
どうか、このチャンスだけは逃さないで頂きたいと願うばかりです。

byなおいー

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久し振りの宗教書」への4件のフィードバック

  1. 人間の肉体に酸素が必要なように、人間の幽体には幽気が必要です。
    肉体が排気ガスをずっと吸い続ければ、病に侵されるのと同じように、
    幽体に質の低い幽気を入れていれば、幽体も病になります。
    現代は、人類史上、最も質の低い幽気に包まれている、最悪な霊的状況とのことで、積極的に霊的成長を求めなければ、なおいーさんの記事内にあります(1)~(7)をどんなに実践されても、死後は霊的に質の低い世界に入ってしまいます。

    霊的トレーニングは安全に霊的成長が得られるように設計されています。
    実践していますと、人間にとって最も大切なのは、霊的に高貴な存在を求め、霊的な身体を鍛えることなのだとはっきり分かります。
    是非実践していただきたいです!

  2. 私は契山館に入会してから、過去の書籍は殆ど処分しました。私も違う団体に所属していた事があり、そこには修行法がありましたが、逆に迷いや不安が増えるばかりでした。

    水波霊魂学を知ると、それがどう言う状態だったのか分かりました。

    神伝の法を体験すると、なおいーさんがおっしゃるように、正に異次元の修行法だと分かります。

    幽体や幽気、間気も実感できます。本当にこの修行法に出会えるチャンスは、もう2度とないように思います。

  3. 全て間違っていますね^^;
    世の中、間違った情報だらけです(´・ω・`)
    まず、霊魂学を知って下さい(`・ω・´)

  4. 慈善や人格は大事ですし、それに根差した方が信じられやすいでしょう。
    死後の世界にそれらが通じるか、霊的価値があるかは、また別の問題です。

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