私が《契山館》の凄さを実感した時(その1)

1月22日掲載の「私が《契山館》の凄さを実感した時(序)」に続いての内容です。

私が、初めて《契山館》の本当の凄さを実感したのは、入会した数週間後の、2017年4月下旬に、初めて《契山館》の《支部集会・分会集会》に参加した時の事でした。

受付を済ませて席に座り、意識を正面に向けた途端に、まるで雷に打たれたかのような衝撃を感じて、背筋がピンと伸びて、襟を正さざるを得ませんでした。

そして、その瞬間、「この空間には、間違いなく、人間が平身低頭しなければ失礼に当たる程の、高級な霊的存在がお越しで、高級な気で満たされている」と感じられたのです。 続きを読む

私が契山館の凄さを実感した時(序)

私が宗教的な分野に興味を持ったのは、幼少の頃に、あるきっかけで「人が死んだらどうなるのか」について、その真実を知りたいと思い始めたからです。

その後私は、50年近くにわたって、様々な宗教や、その類似団体に属してきていました。

幸い20歳前後の頃には、100%ではなくても、神仏や霊魂、死後の世界の存在を信じられるようになっていたので、死の恐怖からは解放されて、だいぶ楽に生きられるようになりました。
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16歳の環境活動家

16歳の環境活動家の、国連での演説をニュースで見ました。

地球温暖化に警笛を鳴らした、とのことです。

それについてネットで見ますと、いろいろ賛否があるようです。 続きを読む

本物と出会う喜び

アマゾンで販売中の《水波一郎先生》著、《二本足の霊魂》によりますと、人間はその昔、《幽質界》と呼ばれる霊的世界の住人であったそうです。

《幽質界》では《幽質》で出来た《幽体》という霊的身体で生活していたのですが、その《幽体》は、胴体に2本ずつの手と足が付いて、その上に頭が乗り、顔には目・鼻・口が付いている、という形態ではなかったそうです。

ところが、人間の《霊魂》の一部が、ある時、物質で出来た肉体に宿り、物質界へ生まれて来るようになったようです。

物質界では、《幽体》と肉体が重なった状態で生きるわけですが、《幽体》には寿命がなく死もないのに対して、肉体は遅かれ早かれ死を迎えますので、肉体が死んだ後は、《幽体》のみで《幽質界》へと戻ることになります。

このようにして、物質界へ生まれることを選択した私達は、《幽質界》でも二本足の形態で存在するようになり、《幽質界》と物質界の間を行ったり来たりするようになったそうです。

その結果、《幽質界》では、同じ人間であっても、物質界を経験した二本足の形態の《霊魂》と、そうではない形態の《霊魂》が存在するそうです。 続きを読む

分かれ道 ( Part5)

鬱病と診断されるちょっと前に上司から業務上、恫喝とも取れる発言を受けました。これは看過出来ないと考え速攻で労基に相談に行きましたがその時対応してた相談員が夕方に近い時間の為か他人の感情の機微を読み取るのが得意な私で無くても判るレベルで面倒くさそうな思いが表情から見て取れました。大方、定時で上がって飲みに行く算段でもしていたのでしょう、明らかに話を早く切り上げたかっています。別段、違法性のない発言と言うことになりました。 続きを読む