武道の型と神伝の法の次第

武道家などと自称してしまうとかなりの達人かと勘違いされてしまいそうなので本当は嫌なのですが格闘家だと精神的な部分が希薄な印象になってしまいどうも呼称としては好きになれません。肩書きがないと話しの内容に説得力が無くなってしまい上手くありませんので武道家と自称させて下さい。まあ武道家の末席の更にその端くれくらいに思ってもらえればありがたいです。

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占い

人生一寸先は闇。

人は、将来が不安になると霊的なことには関心が無くても、占いに頼る人は少なくないのではないでしょうか?

あまり気にしない人でも、朝のテレビの情報番組の「占い」は何となく見てしまい、良い結果なら気分も良いですが、悪い結果なら、気にしないようにするなり、何故か意識してしまうのではないでしょうか?

芸能人などが「手相占い」等やっていたりしますが、皆さん気になるのはやはり物質的な事で、金運、仕事運、健康運、若い人なら、恋愛運なのでしょう。

確かにお金はいくらあっても邪魔にならないと思いますし、仕事もなるべくなら人に頭を下げなくても良い位置になりたいし、意中の人がいれば、霊的な事なんかよりその人の気持ちが知りたいし、健康無くして仕事も恋愛もないと思います。

そう言う私も、テレビで「手相占い」をやっていたりすると「フムフム」と言いながら自分の手相を見てしまいます。

さて、その結果やいかに(笑)

私は「占い」は全く詳しくないのですが、そもそも「占い」とは何のためにあるのでしょう?

将来訪れるかもしれない不幸を知り、それを回避するためなのでしょうか?

それを知ったところで本当に回避できるのでしょうか?

或いは、自分の長所を知り、その様になれるように努力をする為でしょうか?

不幸の暗示があるのなら、回避するのではなく、まず、不幸になってしまう原因を知らなければいけないのではないでしょうか?

 

水波霊魂学の視点から言えば、人類は初めから地上に居た生命体ではないそうです。初めは幽質界(あの世)という所で何不自由なく暮らしていた生命体が、色々な事があって物質世界である地上に降りてきたそうです。

不自由を知らなかった生命体が地上を経験することにより、様々な苦悩を背負ってしまいました。

このあたりの事は「二本足の霊魂」「神体」「」を読んでください。

 

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「念」

先日、知り合いの会員でない方と「念」について話をしてみましたところ、「念」と言うと「念力」のイメージの方が強いようです。

何やら強く念じ、スプーンを曲げたり、物を動かしたりすることを連想するようです。

 

日常で、人を恨んだり、腹が立った強い思いの時に「念」が出て、それが相手の幽体に刺さったり傷を付けたりするという考え方は、やはり馴染みがないようです。

「念」は人の幽体を傷つけます。ですが、いつどのように出たのか分からないので、対処しにくいようです。

強い「念」は例えるならピストルの弾のようなのだそうです。そして、それは目の前の相手に直撃することもあるようです。

 

「念」の特徴として、恨む相手がそばに居ない時は、近くの人に当たってしまうこともあるようです。

何か悔しかったことを思い出し、強い感情が込み上げた時に自分のそばに居た人にたまたま当たってしまうこともあるのです。

それは他人かもしれませんし、自分にとって大事な人かもしれません。

可愛いペットに刺さっているかもしれません。

 

「念」は一度出てしまったら、自分でコントロールできない性質のようです。

更に怖いのは、その「念」を不道徳な霊魂が悪用する事があるらしいのです。

どういった仕組か分かりませんが、離れた所にいる人に対して、殺したい程の「念」を、相手にまで運び、幽体に当てる技術を持った不道徳な霊魂もいるようです。

 

所謂「呪い」がそうです。

人を呪わば穴二つ。

「呪い」は、呪った方も呪われた方も、地獄行きです。

何故ならば「念」は幽体を傷つけ、不調をもたらします。

呪った「念」は返されることもあるからです。

 

水波霊魂学では、幽体が健全か不健全かで死後の行き先が決まってしまうと主張しています。

世間一般で言う、生前の善悪は関係ないのです。

単純に法則で行き先が決まるので、この世に法則があるように、あの世にも法則があったのです。

 

生きている時の肉体にも、幽体の不調は影響が出ることもあるようです。

原因が分からない病気は、もしかしたら幽的な理由があるかもしれません。

 

足が速いと自慢の息子が、運動会のリレーで転んでしまったのは、応援に熱くなりすぎたあなたの「念」のせいかもしれません。

今朝から治らない片頭痛は、、内緒でブランドのバックを買うために貯めておいた「へそくり」が日頃「小遣いが少ない」と文句の多い旦那にバレた、怒りの「念」のせいかもしれません。

幽体が不調になるのは「念」のせいだけではありません。幽体が栄養としている「幽気」の質も大きく関わってきますが、ここでは、「念」を取り上げています。

 

「念」は、私たち誰でも日常的に出していて、それが自分に刺さったり、他人を刺したりしているようです。

ですので、誰でも一生のうちに何度も念の影響を受けていますし、避けることが出来ないようです。

 

では、対策はあるのでしょうか?

あります。

「念」を避けることが出来ないのであれば、受けても大丈夫な幽体にすれば良いようです。

格闘家の様に、打撃に耐えられるくらいの身体にすれば良いのです。防弾チョッキならぬ、霊的な防念チョッキを身に纏えば良いのです。

それが契山館が世の中にアピールし続けている「神伝の法」のひとつ「神伝鎮魂法」です。

もちろん「神伝鎮魂法」の本来の目的は、もっと深いのですが。

 

目に見えないから分らないですが、現代は霊的に劣悪な環境です。

空気と共に吸い込む幽気はまるで排気ガス。まさに未発達な霊魂や邪霊が排気しているのです。

「念」は乱射のごとく飛び交い、避ける術もありません。

そんな現代人のために「神伝鎮魂法」は降ろされました。

 

「神伝の法」は老若男女誰でもできます。

忙しい現代人のための「霊的トレーニング」です。

長い時間も取られません。

 

まずは、書籍「神伝鎮魂法」を読んでみてください。

by ガンリキ

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「修行」のイメージ

修行と言うと、未だに難行苦行の印象が強いのではないでしょうか。

確かに、色々な意味で修行と言うと、心身ともに自分を追い詰め、そこから何かを掴み取るものなのかもしれません。

そういった意味では、修行法としての「神伝の法」もそうそう甘いものではありません。

個人的には、「霊的トレーニング」と言うより修行法と言った方が好きですが、やはり宗教色が強くなり受け入れにくくなるのかもしれません。

先日、「神伝の法」について人に話す機会がありましたが、やはり修行のイメージは難行苦行でした。

昔と違い、現代はインターネットで様々な情報が得られます。インターネットを活用しない人でも、本や雑誌で情報を得られます。

その両方を活用しない人もまだまだ大勢いると思います。霊的な事に興味があっても活字を読むことすら嫌いな人も大勢いると思います。

「神伝の法」は未だ有名ではないので、修行と言うと難行苦行というイメージになってしまうのは仕方ない事なのかもしれません。

そんな中、人に話す機会があれば、何とか修行のイメージを変えるために、なるべく「霊的トレーニング」と言う言葉を使うようにします。

そうじゃなくても、社会人は普通にストレスを抱え、精神的に追い込まれている方も多いと思うので、難行苦行では現代人からは縁の遠いものになってしまいますし、修行をしなければ救われないとすれば、現代人のほとんどの人が救われないということになってしまいます。

 

なので、「神伝の法」は、忙しい現代人のための霊的トレーニングだという説明をします。

時間的には短いものなら10分程度ですし、食事制限もなければ厳しい戒律みたいなものはありません。

 

普段の生活の中で取れる、少しの時間で続けていけます。

それでも、確実に人間を霊的進歩向上へと導いてくれます。

 

ではありますが、どうしても一度は合宿形式の研修を受けないと家に持ち帰ることは出来ません。

今後は日帰り研修もあるとのことですが、基本的に本やインターネットなどで習えるものではないのです。

霊的なトレーニングとは、神霊の御意志を受けた高貴な霊魂の指導の下で行うものなので、特別な霊的空間の中で指導を受けなければならない性質のものだからです。

ですが、それさえクリアしてしまえば、後は生活の中に組み込めば良いだけなのです。

・・・・・・・

という説明を加えると、またまた一線置かれてしまいます。

どうすれば「神伝の法」がもっと人々に受け入れられるのか悩んでしまう今日この頃でした。

 

「これしか救いがないのに・・・」

 

byガンリキ

 

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神伝禊法初伝合宿から1ヶ月

8月に《神伝禊法初伝合宿》に初参加してから、1ヶ月が経ちましたので、現時点での感想を述べさせて頂きます。

合宿からの帰宅後は、毎日2回ずつ、《水の禊》を続けていますが、1ヶ月経っても、合宿中の感動は全く薄れていません。むしろ、感動が深まりつつあるようにも感じられます。

私の場合、通常、どんなに感動的な体験をしても、その感動は数日後から薄れ始め、1ヶ月も経てば、完全に過去の記憶の中のものになって、実感を失います。

でも、合宿の感動が、この、通常の物質界の中での感動と、あまりにも違うのに驚いています。

まさに、次元の違う感動だと言えます。

更に、自己認識としては、合宿前と合宿後では、精神的な状態のレベルが、全く違ったようです。

たとえて言えば、合宿前に、年間数回、それも、1回数分程度しか持続しなかったような良好な精神状態、それをも上回る状態が、毎日、持続しているような感じです。

「心が透明になったような」とか、「意識の視界が広がったような」とか、「フィルターの目詰まりが解消したような」とか・・・言葉を尽くしても、とても表現し切れません。

合宿直後に抱いた感想も、私の予想を遥かに超えたものでしたが、現時点、1ヶ月後に感じている感想も、私の予想を、大きく超えたものです。

とにかく《神伝の法》は、人間の頭脳が作成したものではないと断言出来ます。

神霊の事は、あまりにも距離が遠過ぎて想像出来ませんが、人間よりも、ずっとずっと高貴な存在から、与えて頂いたトレーニング法であること以外、考えられません。

今までずっと、よくも《神伝の法》を知らずに、生きて来られたものだと思います。

まるで、《神伝の法》を知る前の私は、今の私からしたら、目隠しや耳栓をして生きていたようなものです。

それくらいの、いや、それ以上の違いがあります。

《契山館》への入会を迷っておられる方、また、会員でも、合宿への参加をためらっておられる方には、万難を排して、次回の《神伝禊法初伝合宿》への参加をお勧め致します。

それだけの、いや、それ以上の価値があります。

この《神伝の法》の時代の日本に生まれて、《神伝の法》に出会わずして、何のための人生でしょうか?

この世において、《神伝の法》に勝る価値を有するものを、私は知りません。

さあ、あなた様も、今こそ、《神伝の法》の無限の価値を、ご体験下さい。

水波一郎先生著「神伝禊法」は、
紙の書籍のペーパーバック版と、
電子書籍のkindle版が、
いずれもアマゾンで、販売されています。

ご購入方法がご不明な場合は、このページ下部のリンク先から、契山館各支部、分会、
または、契山館広報部HPまで、お問い合わせ下さい。

byなおいー

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