ポケ活と霊活と私 不定期掲載の7

いつもコメントありがとうございます。

毎度、毎度の丸投げ投稿ですが先輩会員のコメントは自身が想像したものと違う反応があって「なるほどそういう見方もあるのか」と妙に納得して感心させられてしまいます。 続きを読む

武道の型と神伝の法の次第

武道家などと自称してしまうとかなりの達人かと勘違いされてしまいそうなので本当は嫌なのですが格闘家だと精神的な部分が希薄な印象になってしまいどうも呼称としては好きになれません。肩書きがないと話しの内容に説得力が無くなってしまい上手くありませんので武道家と自称させて下さい。まあ武道家の末席の更にその端くれくらいに思ってもらえればありがたいです。

続きを読む

霊猫あーちゃんとの生活 #003

ー  なぜ、あーちゃんは霊猫?  ー

ようやくあーちゃんが登場しました。まだうちの子になる段階の話まで進んでいませんがちょっとだけ時系列を離れてなぜあーちゃんが霊猫だと考えるに至ったのかを話します。当然、あーちゃんを引取る決断をする部分にも密接に関係してくるのでちゃんと話しておきたいと考えました。そこは物理的物質的な部分と目には見えない霊的な部分の説明を分けて行いますがあーちゃんはその両方とも恐ろしく強運を持った猫だったと感じた上でのお話しをさせて下さい。 続きを読む

契山館との出会い

今回は、私の契山館への入会前後のお話です。

入会や集会の見学をお考えの方や、入会されたばかりの方の、ご参考になれば幸いです。

(1)契山館と出会うまで

私が契山館と出会うには、かなりの年数がかかりました。

私が初めて「死」ということを意識したのは4歳の時で、身近な人の死がきっかけでした。

「死んだらどうなるのだろう?」「自分がなくなるのだろうか?」「自分がなくなるってどういうこと?」などと、幼い頭で考えていたような気がします。幼かったためか、あまり恐怖感はありませんでした。

その後、幼稚園、小学校、中学校と進んでいくわけですが、人の死というものを、頻繁に意識することが多い環境に身を置いたこともあり、「死んだらどうなるのだろうか?」との思いが頭を離れることはありませんでした。

それは徐々に、「死後の世界はあるのか、ないのか?」との疑問へと変わっていきました。

中学生の頃には、「死ぬことによって数十年で自分が消滅するのなら、何のために苦労して勉強などする必要があるんだろう?頑張って成長するなんて無意味じゃないか!全員、死刑判決を受けている死刑囚も同然なのに、皆、よくも平気で日常生活が送れるものだ。」などと考えていました。 続きを読む