ポケ活と霊活と私 不定期掲載の1

どうも〈霊猫あーちゃんとの生活〉のゆたんぽです。いつもあーちゃんブログを読んで頂きありがとうございます。あーちゃんブログは今後も掲載を続けて参りますのであーちゃん共々よろしくお願いします。

最近、ブログ投稿に対してチョットした。悩みというかジレンマを抱えています。書きたいことがたくさんあるのに時間がなくて書けません。あーちゃんブログも校正の時間も含めると4時間以上かかってしまいます。楽しい時間なのでべつに苦にはならないのですが週1回の投稿を心掛けているので他に書きたいことまで手が回りません。それは何故かと考えました。結論から言うとパッケージングにこだわっていた事に気がつきました。

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霊猫あーちゃんとの生活 #004


ー  決心  ー

「ん! オカシイぞ!!」保護猫ハウスに行って1週間、社内のグループLINEにもあーちゃんの写真とコメントを入れてとっくの昔に既読が付いているのに社長はおろか言い出しっぺのF女史も看板猫の話は一切出ない。別に私がこの話を積極的に進めているわけではないので「看板猫の件、どうなりました?」とは聞かないが私には思い当たる節がありました。「又、始まったか!」F女史の奇行です。(この部分に関しては前回の投稿をご参照ください。)この投稿は私の大好きなあーちゃんとの生活のをお話しする場所です。F女史は可哀想な邪霊の犠牲者ですが彼女のことを詳しく書いてしまうと邪霊に対しての怒りから文章内でのあーちゃんへの愛情表現がブレてしまいます。何よりあーちゃんに関連したこと以外を書くこと自体、本当に無駄だと感じます。もうこれを最後にF女史が〈霊猫あーちゃんとの生活〉に登場することはありません。後日、社長に確認したところ私が予想したとおりの答えが返って来たことだけはお伝えしておきます。 続きを読む

霊猫あーちゃんとの生活 #003

ー  なぜ、あーちゃんは霊猫?  ー

ようやくあーちゃんが登場しました。まだうちの子になる段階の話まで進んでいませんがちょっとだけ時系列を離れてなぜあーちゃんが霊猫だと考えるに至ったのかを話します。当然、あーちゃんを引取る決断をする部分にも密接に関係してくるのでちゃんと話しておきたいと考えました。そこは物理的物質的な部分と目には見えない霊的な部分の説明を分けて行いますがあーちゃんはその両方とも恐ろしく強運を持った猫だったと感じた上でのお話しをさせて下さい。 続きを読む

「修行」のイメージ

修行と言うと、未だに難行苦行の印象が強いのではないでしょうか。

確かに、色々な意味で修行と言うと、心身ともに自分を追い詰め、そこから何かを掴み取るものなのかもしれません。

そういった意味では、修行法としての「神伝の法」もそうそう甘いものではありません。

個人的には、「霊的トレーニング」と言うより修行法と言った方が好きですが、やはり宗教色が強くなり受け入れにくくなるのかもしれません。

先日、「神伝の法」について人に話す機会がありましたが、やはり修行のイメージは難行苦行でした。

昔と違い、現代はインターネットで様々な情報が得られます。インターネットを活用しない人でも、本や雑誌で情報を得られます。

その両方を活用しない人もまだまだ大勢いると思います。霊的な事に興味があっても活字を読むことすら嫌いな人も大勢いると思います。

「神伝の法」は未だ有名ではないので、修行と言うと難行苦行というイメージになってしまうのは仕方ない事なのかもしれません。

そんな中、人に話す機会があれば、何とか修行のイメージを変えるために、なるべく「霊的トレーニング」と言う言葉を使うようにします。

そうじゃなくても、社会人は普通にストレスを抱え、精神的に追い込まれている方も多いと思うので、難行苦行では現代人からは縁の遠いものになってしまいますし、修行をしなければ救われないとすれば、現代人のほとんどの人が救われないということになってしまいます。

 

なので、「神伝の法」は、忙しい現代人のための霊的トレーニングだという説明をします。

時間的には短いものなら10分程度ですし、食事制限もなければ厳しい戒律みたいなものはありません。

 

普段の生活の中で取れる、少しの時間で続けていけます。

それでも、確実に人間を霊的進歩向上へと導いてくれます。

 

ではありますが、どうしても一度は合宿形式の研修を受けないと家に持ち帰ることは出来ません。

今後は日帰り研修もあるとのことですが、基本的に本やインターネットなどで習えるものではないのです。

霊的なトレーニングとは、神霊の御意志を受けた高貴な霊魂の指導の下で行うものなので、特別な霊的空間の中で指導を受けなければならない性質のものだからです。

ですが、それさえクリアしてしまえば、後は生活の中に組み込めば良いだけなのです。

・・・・・・・

という説明を加えると、またまた一線置かれてしまいます。

どうすれば「神伝の法」がもっと人々に受け入れられるのか悩んでしまう今日この頃でした。

 

「これしか救いがないのに・・・」

 

byガンリキ

 

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壁Ⅱ

信仰心が強く修行をしている人と言うと、性格が良いとか人格者などと思われがちです。

しかし、修行者ではあっても、生活をして行く為には、仕事をしてお金を稼がなければいけません。

仕事をしていれば、多少の駆け引きは必要な時もありますし、表面だけとは言え、媚を売るような時もあります。

そう言った所を人に見られると、ずる賢いと思われてしまう時もあります。

水波霊魂学や神伝の法の話をしていても、仕事の話に切り替わるとしっかり損をしないような会話もします。

そんな時、相手には「この人、普段は信仰心があるぶってるけど、何だかんだ普通と変わらないじゃないか」と思われてる時があるように感じます。

「私は学歴もなく人格者ではないので、霊的な話をしても説得力を持たない。」
これが私にとってもう一つの壁です。

なので、正直なところ、仕事関係の人には霊的な話はしにくいです。(しますけど。)

世の中には尊敬できる人が沢山います。最近のニュースでも、色々な被災地に行ってボランティア活動をしている方がいました。私には到底できることではないので、心の底から尊敬します。

被災地の霊的環境を考えると、そう言った方にこそ神伝の法はあるべきだと思います。

私は普通の人間です。むしろ、性格は悪い方かもしれません。人間として生きていると「ずるい」と思えることを考える時もあるし、人に対して殴ってやりたいと思う時もあります。

しかし、だからこそ霊的トレーニング(修行)をするのです。

生きてゆくための矛盾と向き合いながら、自分の至らなさを日々改善しようと葛藤しています。

自分を見つめ、短所を改善しようと努力しながら日々神伝の法を行っていると、自分が変わって行くことに気づいて行きます。

宗教を嫌う人はおそらくこう言います。「自分の短所と向き合い、日々改善してゆくことなんか誰だってやっている」と

確かにそうですが、「神伝の法で変わって行く」こればっかりは体験しないと分らない所です。

もっと奥の方から変わってくるのです。

オンボロ自転車に例えてみます。

ブレーキの利きが悪くタイヤの空気が少し抜けています。チェーンには油がなく、たるんで錆びています。そんな自転車でも、その癖を学習し慣れてくれば、何とか運転も出来ます。しかし、もし急に曲がり角から人が出来てきたらどうなるでしょう?

「故障個所を直しておけば・・・」と後悔先に立たずです。

これを人間の心に置き換えてみます。

自分の短所と向き合い、改善する努力をすれば、そのうち感情の調整が出来るようになります。所謂、大人になったと言う事でしょうか。

ところが、人間にはある日突然、どうにも抑えられない衝動に襲われる時があります。普段なら理性で調整できたことでも、どうにもならなくなって大失敗してしまう時があります。

このどうにも抑えられない普段顔を出さない衝動を、水波霊魂学では「霊的カルマ」と言っております。

「分っちゃいるけどやめられない」これも「霊的カルマ」の仕業かもしれません。

「これ性格だから治らないんだよ!」と言う人、そんなことありません!人間努力次第で変わるのです!

この「霊的カルマ」を解消しない限り、人生の足を引っ張られます。

これを解消できるのが「神伝禊法」なのです。

オンボロ自転車の故障部分を直してしまいます。オンボロに慣れるのではなく、根本的な故障の原因を直すのです。

この感覚は、体験してみないと分からないのです。

神伝禊法は今、誰にでもできるのです。

忙しい社会人でも、主婦でも、学生でも出来るのです。

「神伝禊法」を読み、「契山館」に問い合せてください。

 

byガンリキ

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