ネクタリンの木の上で。

私が住む長野北信地方は果物栽培が大変盛んで、桃、プルーン、ブドウ、栗、リンゴと様々な種類が作られています。私の家でも果物栽培をしております。

今時期は、桃とネクタリンの出荷が最盛期を迎えています。
私は、このネクタリンが大好きで、収穫を毎年とても楽しみにしているのですが、首都圏の方にはあまりなじみがない果物かもしれません。

杏とモモの掛け合わせで、甘酸っぱくて固めの歯ごたえ。木の上でしっかり熟れて、少し柔らかくなってきたようなものは、マンゴーのような濃い鮮やかな味わいで、暑い季節にとても似合います。瑞々しい桃も大変美味しいものですが、味のはっきりしたネクタリンの方が好きだという方もよくいらっしゃいます。

朝一番のセリに間に合わせたいので、日の出とともに収穫を始めます。
夜露でぬれた梯子に足が滑って、ヒヤリとした事は何度となくありますが、この辺りはお年寄りが多く作業されているので、梯子から滑り落ちて骨折、そのまま寝たきりになった、なんて方の話も聞きます。(明日は我が身! 😥 )

農作業での危険は、骨折、寝たきり、農耕機に挟まれて死亡・・・と、色々ありますし、歳をとっても美味しい野菜や果物を作るために、安心・安全作業は何より優先して気をつけなければ、と思っております。

 

さて、霊的な修行の世界にも、自分の身の安全を守るために、知っておくべき危険というものがあり、
一般の方にも是非知っておいていただきたいことの一つとして、霊的修行法の独習の危険性があります。

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「霊魂研究へのいざない」を拝読して

画期的な霊魂研究の書であり、《契山館》に出会った方が、《水波霊魂学》の概要について学ぶのに、最適な一冊だと言えるでしょう。

さて、《死後の世界》は存在し、私達は死後、《霊魂》として存続するのでしょうか?それはやはり、人間にとっての最重要なテーマであると思います。

《死後の世界》の存在を信じるかどうかと問われれば、私は躊躇なく信じると答えます。

《死後の世界》は、あると証明されているわけではありませんが、私には、どうしても、あるとしか思えないのです。

中には、《死後の世界》が、あるのかないのか分からない、という方がおられるかもしれません。

《死後の世界》は、客観的には、あるともないとも証明されていないのですから、どちらか分からないのは、ごもっともかもしれません。

しかし現実には、《死後の世界》は、存在するのかしないのか、答えは2つに1つなのです。

本書に記されているように、《死後の世界》があるという前提でいて、実際にはなかったとしても、もはや、その事を自覚する自己が存在しないのですから、特に不都合はありません。

でも、《死後の世界》などないと思っていたのに、実際にはあったという場合はどうでしょうか?

何の準備もしないで、《死後の世界》へ入ることになるのですから、大変なことになるかもしれません。

なぜなら、《死後の世界》には、天国のような楽な世界だけではなく、地獄のような苦しみの世界も存在するらしいからです。

古来より、様々な宗教等で、善人は天国へ行き、悪人は地獄に堕ちると言われてました。

ですから、人間は心を成長させるために、倫理道徳や人生訓を学び、善行に励むべきだと教えられてきたのです。

しかし、《水波霊魂学》では、異なる主張をしています。《死後の世界》での行き先を決める基準は、この世の善悪の基準とは異なるのです。

考えてみれば、この世の善悪の基準は、国や時代によっても異なるわけで、絶対的なものではありません。

そのように不確かな尺度が、《死後の世界》で通用しないのは、当然なのではないでしょうか。

それでは、何が死後の行き先を決めるのかというと、肉体と重なっている、《幽体》という《霊的身体の成長の度合い》なのです。

そして、《契山館》では、この《幽体》を成長させるための、《神伝の法》という、《霊的トレーニング法》の指導が行われています。

《神伝の法》こそ、肉体の死後、《幽体》で《死後の世界》へ向かう時に備えた、最高の準備法なのです。

《神伝の法》は、《死後まで続く幸福》を手にするための、唯一のパスポートです。

間違っても、死後、苦しみの世界へ入ることがないように、ぜひ、皆様にも《神伝の法》を行って頂きたいのです。

これからは、《幽体》の研究を伴わない《霊魂研究》は、役に立たない時代なのです。

水波一郎先生著《霊魂研究へのいざない》は、
紙の書籍のペーパーバック版と、
電子書籍のkindle版が、
いずれもアマゾンで、販売されています。

ご購入方法がご不明な場合は、このページ下部のリンク先から、契山館各支部、分会、
または、契山館広報部HPまで、お問い合わせ下さい。

byなおいー

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正常性バイアスという邪霊の罠

 

正常性バイアス(せいじょうせいバイアス)とは

認知バイアスの一種。社会心理学、災害心理学などで使用される心理学用語で、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となる。

人の心は予期せぬ出来事に対して「鈍感」にできている。予期せぬ変化や新しい事象に心が過剰に反応して疲弊しないためのはたらきで、ある程度の限界までは、正常の範囲として処理する心のメカニズム。

近年の研究によれば災害発生時に実際にパニックが起こるのは稀なケースであるとされ、むしろ災害に直面した人々がただちに避難行動を取ろうとしない原因の心の作用として注目されている。

[具体的な例]

東日本大震災

地震発生直後のビッグデータによる人々の動線解析である地域では地震直後にほとんど動きがなく、多くの人々が実際に津波を目撃してから初めて避難行動に移り、結果、避難に遅れが生じたことが解明された

御嶽山噴火災害

死亡者の多くが噴火後も火口付近にとどまり噴火の様子を写真撮影していたことがわかっており、携帯電話を手に持ったままの死体や、噴火から4分後に撮影した記録が残るカメラもあった。

ここまではウィキペディアより抜粋引用(参考ページURL)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%B8%B8%E6%80%A7%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9

心理学は人間の脳の思考に関する学問です。即ち脳という器官を使用して思考する人間は多かれ少なかれ影響を受けその支配下にあると言えます。

個人的見解ですが、狡猾で人の心に付け入る隙を熟知している邪霊達は(元は我々と同じ肉体を所持していた人々ですから当然なのですが)正常性バイアスを巧みに使い霊的真理(法則)から人々の目をそらし今、生きている人達が他界した後、自分達の下僕にすべく地上世界の霊的環境の悪化を画策しています。

多くの人々が死後行き着く先は地獄として表現していい場所なのかもしれません。

「霊的真理?   霊的環境?   自分は何の罪も犯していないし何も悪いことをしていないのだから地獄には落ちるはずはない! 地獄は罪人が行く場所だから他人ごとだね。」

 

知らないことは罪です。

知ろうとしなかったことは大罪です。

 

注)個人的見解に基づくものです。

 

byゆたんぽ

 

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霊猫あーちゃんとの生活 episode ZERO #003

レーマニーというのは随分と経ってからサボテンの仲間の名前だということがわかりました。

実は知り合いの農家のおじいさんが飼っていた雌のゴールデンレトリバーの名前を拝借しました。とても賢い犬で朝、おじいさんが畑に行く時におじいさんと一緒に畑に行き、おじいさんが仕事をしている間は畑の脇で大人しく待っていたそうです。夕方になりおじいさんが自宅に帰る時になるとムクッと起きておじいさんと家路についたそうです。人里離れた場所だったこともあり余りリードも付けていなかったそうですがトラブルもなく、人の言葉を理解しているのかのごとく言うことも良く聞いたそうです。

そんなレーマニーも13歳を過ぎて亡くなってしまいました。前日までいつものようにおじいさんと畑に行き翌日、ご飯をあげようと犬小屋に行くと眠るように死んでいたそうです。おじいさんは悲しみもありましたが苦しまず安らかに逝ったことで安堵の気持ちが大きかったそうです。

この話を聞いてレーマニーという余り耳馴染みの無い名前が強く印象に残ったのでしょう。家の庭に住みついた子猫を3匹連れた野良猫に深い考えもなくレーマニーと名付けました。

私の家には1階部分が車庫になっている2階建の離れがあります。私はそこで寝起きしていますが母屋の玄関からだけでなく外階段からも出入り出来るようになっています。外階段はコンクリートの打ちっぱなしでその踊り場で猫の親子がたむろしているのを最初に見つけたのは私の母親でした。

2016年の初夏でした。

レーマニーはサバシロ猫の年若い母猫でした。3匹の子猫はキジトラ猫、サバトラ猫、サビ猫で名前はブゥ、ヤー、ターと名付けました。これは少年ジェットのミラクルボイスから取りました(少年ジェットとミラクルボイスが分からない方はネットで調べてください)のちに調べたらブゥ、ヤー、ターではなくウー、ヤー、ターでした。私の勘違いでしたがそう名付け呼んでいたのでそのままにしました。ただサビ猫のターだけはのちにメス猫だと判明したのでター子になりました。

レーマニーとブゥ、ヤー、ター子はもっぱら昼間は階段の踊り場で過ごしていました。3匹の子猫がじゃれあって遊んでいるのをレーマニーが寝そべって眺めているそんな光景を何度か目にする機会がありました。

前記の通りとおり余り猫が好きではなかった私はレーマニー親子を追っ払いにかかりました。「庭を糞だらけにされたら叶わん!」と、その時は知りませんでしたがのちに猫は庭を糞まみれにしないことを知りました。猫はトイレの場所を決めるとずっとその場所でウンチもオシッコもします。そしてその後に砂をかけて痕跡を消します。これは猫が単独行動のハンターで自身の糞尿のにおいから獲物に感づかれない為の習性だと言われています。

私と同様に猫を飼った経験のない家の母親はあーちゃんが猫トイレで用を足した後に砂をかける様を初めて目の当たりにして「人間みたい!」と感動していました。ちなみにこの猫がウンチ(関西圏ではババ)を砂をかけて隠して素知らぬ顔をする行為から『ネコババ』の語源になったという説があります。

レーマニー親子を追い立ててみるものの翌日には素知らぬ顔でまた階段の踊り場でくつろぐ姿があるのを何回か繰り返した後、8月のお盆の時期に突然、レーマニーと3匹の子猫達の姿を見ることが無くなりました。

続く

byゆたんぽ

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「龍」を拝読して

本書を読み進むうちに、《龍》の正体と、人間との深い関係が明らかになるでしょう。

《龍》というと、一般的には架空の存在と思われていたり、場合によっては、誤ったご利益信仰の対象にされていることもあるかもしれません。

しかし本書では、《水波一郎先生》を通して、高級霊魂が、《龍》の正体や、人間との深い関係等について語って下さっています。

また、《人間》と《龍》との関係の中で、人間が死後の世界で辛い思いをしなくて済むよう、この世で生きるうちに、何をするべきなのかが明らかにされていきます。

《龍》について語られた書籍は少なからず存在しますが、高級霊魂の視点で、これだけ明確に真実が明らかにされたことは、未だかつてなかったと思います。

類書がない、すなわち、この世のどこにも、学ぶべき資料が存在しない独自の内容が記されていることこそ、本書の内容が、霊的世界の霊魂によって、もたらされていることの証だとも言えましょう。

本書の内容を一笑に付すのも、真剣に受け止め今後の人生に生かすのも、私たち個人の自由でしょう。

しかし、この世に生きる以上、死からは誰一人逃れることは出来ません。

死後の世界があるかないかは、他人事ではないのです。

死後の世界は、存在するとは証明されていませんが、逆に存在しないとも証明されていません。

本書に目を通しながら、もし、死後の世界があったら・・・という観点から、今後の人生に思いを巡らせるのも、有意義な時間になることでしょう。

私事ですが、私は、この《龍》のお陰で、《契山館》と出会うことが出来ました。

《龍》に出会えなかったら、私は、まだ《契山館》を知らなかったかもしれません。

今の私があるのは、《龍》のお陰です。

《契山館》で《水波霊魂学》を学び、《神伝の法》という《霊的トレーニング法》を行うことは、《死後まで続く幸福》への道へ入ることを意味します。

どうか、一人でも多くの方が、《龍》と出会われますよう、お祈り申し上げます。

水波一郎先生著「龍」は、
紙の書籍のペーパーバック版と、
電子書籍のkindle版が、
いずれもアマゾンで、販売されています。

ご購入方法がご不明な場合は、
このページ下部のリンク先から、
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または、契山館広報部HPまで、お問い合わせ下さい。

byなおいー

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