先日の群馬支部集会では、知人に水波霊魂学の話しをした時に、宗教的な話題となると拒否反応を感じる、という話題になりました。
そういえば私も同じように、宗教に拒否反応を示していた人の一人だったな、と思い出しました。
私の世代はオーム真理教の報道を見て育ちました。
小学校では、「しょーこーしょーこー♪」と歌ってふざけている男子がいたことをよく覚えてます。
宗教といえば、怖い、洗脳、という印象が刷り込まれているので、同世代で宗教の話が出ることはほとんどありませんでした。
そんな私でしたが、契山館には全く違和感がないのです。
出会いは、インターネットで初めて見た「死後の世界への入り口」です。
こんなに矛盾のない、信じられる説があるなんて・・・、と衝撃を受けました。
そこからいても立ってもいられず、入会して10年経ちました。
今でも他の宗教の話は苦手です。
誰かに他の宗教の話題を振られたら、拒否反応を示してしまうでしょう。
自分では言うくせに・・・。
契山館は何が違ったのでしょうか?
いくつか思い出してみました。
① 純粋で原始的な信仰心が大切ということ。
誰だって、私だって持っていたのです。信仰心というものの欠片を。
・朝起きて太陽を拝したくなる気持ち。
・月を見て、祈りたくなる気持ち。
・神様助けてと思う気持ち。
・今日も1日ありがとうございました、と見えない存在に感謝する気持ち。
こんな気持ちが初めからあったわけですが、現代人は忘れがちです。
そういう気持ちを大事にすればよかったのです。
それなら私にも理解できました。
② 気高さ、清らかさ、他にない印象・・・。
契山館は宗教法人ではありませんが、宗教じゃないというような逃げ方もしていません。
そんな姿勢にもとても惹かれました。
単に会員数だけ増やす目的でもなければ、退会も自由。
どこまでも誠実で汚れない、なんて清らかな団体なのだろうと思いました。
③ 実感がある
ただ、教科書を読んで知識を得るだけではないのです。
水波霊魂学によって霊的な法則を学び、修行法でそれを実感し、更には霊術や祓いなどを行うことにより、実生活においても良い影響が得られます。
ただ、信じるだけ、祈るだけ、何か奇跡を待つだけではないのです。
個人に応じた実感が得られます。
とはいえ、入会する時はとても勇気がいりました。
だって、宗教です。
「私が宗教に入会するのか?本当にいいのか?親になんて言えばいいんだ?」
と少々葛藤しましたが、そんなことどうでもいいや!
と思えるくらいに、魅力的だったのです。
今でもその魅力は色あせることなく、更に実感してしまってはもう疑う余地もありません。
この魅力、私のように宗教嫌いの方に、どうすれば伝わるのでしょうか??
はじめに読んで欲しいのは、やっぱりこちらです!
■霊魂研究へのいざない
byこま
♬♪ お近くの支部集会へ、ご見学に来ませんか? ♪♬
私も実家の近くに宗教団体の支部があったので、何度も来る勧誘を苦々しく思っておりました。こちらが求めたわけでないのに、自分の領域にズンズン入ってくる感じを宗教の特徴のように思っておられる方、大勢いらっしゃることでしょうね。
本物を知れば、それが大きな誤解だとよくお分かりになることでしょう。
信仰心は衣食住と共に人間にとって切り離してはいけない構成要素の一つだったはずです。
しかしいつからかまるで持ってはいけない、持っていたとしてもそれを他人には話すこともはばかるものになり下がってしまいました。
それが邪霊の策略なのか人々の自由意思なのか分かりません。
ただ未熟者のわたしでもはっきり断言出来ます。
それは霊的生命体としての極限の不幸です。
どうか怖がらず契山館の人々を観察して下さい。
そして自身の心の奥底の声に耳を傾けて下さい。そして契山館の人々と言葉を交わして下さい。
今ならまだ十分間に合います。
霊的な人間の本能。困った時には普段心の片隅にもない神様に縋ります。結局最後は祈るのです。それは、自分でも気付けない霊的な本能なのだと思います。本能であれば、遡ればその大元があるはずです。それを現代人は忘れてしまっていて、それを教えてくれるのが所謂宗教なのだと思います。科学で研究してくれれば、科学でも良いのかもしれません。証明できない世界だから、それぞれがそれぞれの主張を好き勝手にし、証明出来ないを幸いに、偽物が商売に利用したりします。純粋に「本当の事を知りたい!!」と思えば
水波霊魂学や神伝の法は、抵抗なく受け入れられると思います。宗教の悪いイメージは全くないです。
《契山館》の会員の方のお話を伺うと、「宗教は嫌いだったけど、《契山館》には違和感を感じず納得出来た」、とのように言われる方が多いように感じています。
私は、その逆で、ずっと宗教が好きで、《契山館》を知った時は、違和感を感じて、納得が難しいところがありました。
どこが納得出来なかったかというと、《契山館》の核心部分とも言える、「幽体を成長させるためには、特別な霊的トレーニングが必要だ」というところだったのです。
それまで、宗教的教義を学んで反省行・善行・愛行などに励んでいれば、幽体も成長すると信じていたからです。
でも、《水波先生》のご著書を読み進むと、《神伝の法》を行じないと《幽体》が成長しない、という点以外は、全て納得がいきました。
ですから、昨年の3月に、まず、一般会員として入会して、もう少し学んでみようと思ったのです。
そして、入会直後に霊査を受け、その結果に基づいて、《幽体》の状態を改善するための《霊術》を受けました。
その《霊術》の前と後で、自身の中の何かが明らかに変わりました。それまでの反省行・善行・愛行では、《幽体》が成長していなかったことを、実感せざるを得ませんでした。
更に、その半月後、《契山館》の《支部・分会集会》に参加し、その空間に身を置いた時に、私は《契山館》は本物だと確信し、修行会員となって、《神伝の法》によって、《幽体》を鍛えていこうと決意したのです。
私の経験で申せば、《神伝の法》で《幽体》を鍛えることの大切さは、肉体の脳が理屈で考えて分かることではありません。
それは、体験し、実感し、確信を得るしかないと思います。
ぜひ、このブログをお読みの方にも、《契山館》を体験し、実感し、確信を得て頂きたいと思います。
まずは、《支部集会》の見学から、どうぞ。
僕も宗教大嫌いだったので、かなり警戒していたんですけど^^;
でも契山館のホームページを読んだら、(今までのイメージの)宗教ではないな、むしろ霊媒と、それを信じている仲間の集まりなんじゃないか?(これを日本では宗教と呼びますけど^^;)と思って、
宗教っていうイメージは全くありませんでした。
宗教が大嫌いと言う方、ぜひ契山館のホームページだけでも読んでみて下さい(´・人・`)
自分がイメージしていた宗教とは全く違うはずですし、今まで知らなかった霊的な事実が分かると思います(*≧∇≦)b