武道の型と神伝の法の次第

武道家などと自称してしまうとかなりの達人かと勘違いされてしまいそうなので本当は嫌なのですが格闘家だと精神的な部分が希薄な印象になってしまいどうも呼称としては好きになれません。肩書きがないと話しの内容に説得力が無くなってしまい上手くありませんので武道家と自称させて下さい。まあ武道家の末席の更にその端くれくらいに思ってもらえればありがたいです。

道場でトレーニング(修行と呼ぶ方が好きなのですが)しているとたまに入門希望の見学者が来ることがあります。大抵は健康増進を目的としたおじさんとかダイエット目的の女性なのですがたまに自分の腕っぷしに自信がある血気盛んな若者が来るんですよ、最初は大人しく見学しているんですが、大抵見ている内容が基礎トレーニングやサンドバック、シャドーボクシングなんでだんだん飽きてくるんですね。練習時間も後半になってくると二人一組でのその日、師匠から指示された型の練習に入ります。防具やグローブを着けてその日の課題を攻守を入れ替えて練習します。実際に当てますが本気を出して当てると身体がもちません。せいぜい2〜3割の力です。でも正確に教えてもらった型通りに攻撃が入るとこれが十分痛いんですが。

全力でやっている訳ではないので側から見ていると大の大人がじゃれあっている様に見えるのか町の腕自慢君は明らかにこの程度かと見下し始めるんです。すると師匠の目がキラリと光って「◯◯君、試しにスパーリングやってみる」と満面の笑みで腕自慢君を誘います。古参の会員は「又、先生の悪い癖が始まった」と苦笑いです。腕自慢君はここぞとばかりに自分の実力を示そうとリングに上がりますが、古参会員は結果が分かっているので寄ってたかってしっかりと防具を着ける世話を焼きます。腕自慢君の相手は大抵古参のおじさん会員が務めることが多いです。それが一番腕自慢君の自信とプライドをキレイに更地に出来るからです。何より腕自慢君に怪我をさせるリスクをうんと低く抑えられます。上級者とスパーリングした方が上手く加減してくれるからです。単純に勝ち負けを決めるのであればこの腕自慢君、半年間真面目に道場に通った、格闘技はおろかケンカもした事もない新入道場生にも勝てないでしょう。

私は他の格闘技や武道家の先生の教え方や理論は良く分かりませんが自身の師匠の理論は理解しているつもりです。我が師は物理学、取り分け力学に対して矛盾した技やトレーニングは一切、指導しません。人間の肉体の機能や特性を理解した上で一番効率の良い、力の伝達、速度の発生を考えた技を伝授してくれます。物理法則を元に効果的な技を教えている以上、個々の体躯の違いによる進歩の度合いの差はほとんどありません。(勿論、体力や筋力の差は出ますが)

つまり他者との相対的な強さの違いはあるものの誰でも確実に進歩して強くなれるのです。それもこれも力学と言う何人も動かしがたい法則を基本にしているからなのでしょう。

私が契山館の修行会員になる前にこの師匠の元で武道を学べたことは本当に幸運でした。この師匠の教えが基本にあったからこそ霊魂学の教えと修行法が何の抵抗もなく入ってきました。論理的な矛盾がなにも感じられなかったからです。元々、宗教やスピリチュアルに対して拒否反応はなかった上に、まあ人並み以上の知識がある自負がありましたので霊魂学と違う主張は全てそちらの知識を捨て霊魂学の知識を上書きしました。法則として矛盾のない方をベースとした訳です。

神伝の法には武道で言うところの型に当たる次第があります。神伝の法がそんなに素晴らしいのなら次第を本やネットで公開すればいいじゃないかと言う主張があるようですがこれはさすがに『失笑』です。今の世の中、武道の本は数多く出版されています。片っ端から読み漁って「ヨシ!理解した。これで今日から武道の達人だ!」と言う人と全く同じでです。先の腕自慢君よりも弱い達人の誕生です。

霊的な法則にしたがって次第が出来上がっているのなら次第を教わった通り忠実に実行するのも武道で言う型をこなすことと何ら変わりません。型は力学と言う物理法則に則って出来上がっているからです。それが霊的法則に変わっただけに過ぎません。私も神伝の法の合宿 には何度か参加させて頂いていますが次第を正確に覚えることに関しては全神経を研ぎ澄してのぞみます。次第書も頂き複雑な動きを求められるわけではないので共すると「ふーん、楽勝じゃん」となりがちですが単純なだけに手足の位置、関節の角度、手指の方向に至るまで正確にトレースしたいと考えてしまいます。必ず意味があると思うからです。加えて呼吸や神呪の間の取り方なども正しいのかと気になってしまう時もあります。

だから私は合宿に参加した時の質問時間にはこれでもかというくらい手を挙げて分からないことは聞きまくります。それでも家庭に戻るとこれも聞いておけば良かったということが見つかるくらいです。合宿の指導教官も嫌な顔ひとつせずに真剣に回答してくれますので合宿に参加の際には恥ずかしがらずに是非質問をどうぞ、以外と他の方がしてくれた質問にハッとさせられることもありますよ。

町の腕自慢君達がその後どうなったかというと9割以上はその後、来ません。でも残りの何人かは道場に入門してプロになっちゃう子もいるんだなこれが

byゆたんぽ

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武道の型と神伝の法の次第」への3件のフィードバック

  1. 若いころの私であれば、おそらく町の腕自慢君のタイプだったと思います(笑)そして思いっきり鼻をへし折られプライドズタズタになっていると思います。ですが、自分で言うのもなんですけど、一流にはなれないかもしれないけど、残りの一割の方でもあると思います。

    水波霊魂学は、霊的トレーニングが進まないと理解できない奥深さがありますが、本当に矛盾がないんです。大事なところを「ボヤッ」とさせていません。

    他の主張で分からないところがあれば、是非水波霊魂学を学んでほしいです。

  2. 単純で簡単な作法ですけど、もの凄く奥が深いですからね~。
    作法の話はやめておきますけど、本当に奥が深くて、1つの動作すら完成するのは難しいと思います。
    作法ですらそれくらい難しいし、しかも高級霊魂との契約が無ければ何の意味も無いので、
    是非、合宿で神伝の法を習って頂きたいです(*≧∇≦)b

  3. ゆたんぽさんの記事を拝見していて、ふと思い出したのですが、水波霊魂学を知る前、一時期女性のための空手の講座に通ったことがあります。型に憧れて。
    そんな女性は意外に多いようで、結構な人数が集まっていたのですが、最終回まで来ていたのは私含め3人でした。最後の方になってくると、型を覚えるのを面倒に感じるようになってくるのと痛かったりするので、辞めていく方がほとんどだったようです。(私も最後まで通うのが面倒でした。)
    憧れを実際の力に変えるには、どんな世界でも地味に見えることをコツコツ重ねていく、そんな真摯な姿勢が必要になってきますね。

    霊的な世界は、なおさらその姿勢が大事だと思います。
    肉体では見えない、感じない、物理的な計測器が使えない、そんな霊的な世界を探ることは、肉の身の私達、人間には本当に難しいことですが、水波霊魂学は霊的な法則を正確に解説しており、矛盾が、本当にありません。是非、その凄さを体感していただけたらと思います。

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