道に迷ったら無理に進んではならない

ブログに寄稿するにあたり気を付けているのは決して1人ヨガリな文書にならないようにすることです。勿論、水波霊魂学と神伝の法を1人でも多くの人に認知してもらい実践してもらいたいと言う思いは根底にありますがどんなに素晴らしいものだと全身全霊で力説したとしても『No !』と言われてしまえばそこで終了、『The End』です。

限られた肉体の使用期限を考えればどんなに救ってあげたいと思う相手でもスッパリと諦めて他に目覚めそうな人を探すのが正解でしょう。だからこそ主義主張に凝り固まった文章はそれを求めていない者からすれば退屈極まりない文章になってしまうと私は考えています。

当然ながら私の寄稿文は主義主張も織り交ぜますが、そんなことに興味がない人が読んでも楽しめる読み物を心掛けています。主義主張の部分をバッサリ削除したとしても「面白い」と読んでもらえる文章を書くことが私の理想です。

しかしながら悲しいかな私は文筆業で生業を立てられる程の文章力は持ち合わせておりません。もうちょっと誰が読んでもわかりやすく興味を引ける文章を書ければと常日頃考えております。そんなときは他の人の文章を参考にするために色々なブログを読んでみます。ジャンルは出来るだけ自分の興味がない分野のブログを物色します。興味がないのについつい読んでしまう文章というのは文章力がある証拠だと考えるからです。きっと学ぶところが多いと思います。

そうして何気なくブログを物色していると、とあるブログが目に留まりその読み易さからついつい3ヶ月分くらいバックナンバーを遡って読んでしまいました。実はこれ、とある宗教団体に所属する信者の方が書いたものでした。自身の日常生活に起こった出来事を絡めた話を自らの信仰を元に解説したり考えを語るものでした。もし私が契山館の修行者でなければ教義に興味を持ったかもしれません。

しかし私は契山館の修行会員で水波霊魂学の学徒であり神伝の法の実践者という見地からこのブログの作者、仮にAさんとしておきますが、Aさんの現在置かれている霊的状態は文章に書かれていた日常の出来事から極めて危険だと考えました。しかしAさんの文章から感じられるAさんの聡明さ、自身の信仰に対する純粋な信仰心は羨ましいとさえ感じました。こういう人が神伝の法に出会っていればさぞかし立派な修行者になったろうにと思わざるを得ません。

しかし仮に私とAさんが今、面と向かって自身の信仰を主張したとしてもどちらかが改宗して歩む道が一緒になることはまずないと思います。それが信仰心のなせる技なのでしょう。一体なぜ、Aさんと私はこれほどまでに違う道を歩んでしまったのでしょうか?

この様なことに想いをはせながら私はとある映画のストーリーを思い出しました。その映画はSF映画でタイムマシンを扱った話でした。ちょっと前の映画ですが大作として作られた映画ですのでご覧になった方もいらっしゃるかと思います。見所も多い映画ですが私が強く印象に残っているところは多分、他の人とは違うと思います。

主人公はいわゆる天才科学者なのですが、最愛の恋人を事故で失ってしまいます。ずっと苦しみ続けますが恋人の死を受け入れられずタイムマシンを作り、恋人の死を回避することを思いつきます。長い年月をかけてやっとタイムマシンを完成させ恋人の死んだ過去に戻り事故を回避することに成功するのですがその事故とは違う理由でやはり恋人は死んでしまうのです。そしてまた過去に戻り恋人の死を回避するのですがまた他の理由で死んでしまうのです。何度過去に戻っても恋人が死ぬ運命を回避出来ないので回避する方法を知るために今度はテクノロジーの進歩した未来へ旅立つというストーリーです。

この恋人を助けられない理由は映画の最後に明かされたのではなく途中で明かされたと記憶しているのでいわゆるネタバレには当たらないと思いますのでお話しますが実はタイムマシンを作った理由が恋人の死がキッカケだったからなのです。恋人が死んだからこそ生まれたタイムマシンでいくら過去を変えてもそれで恋人が死なずに済んだらタイムマシンも生まれなかったでしょうというタイムパラドックスという法則が働いたからなのです。タイムマシンの誕生は恋人の死ありきだったのです。

私とAさんの違いは契山館に出会えるまでの道の選択と出会えた(出会えなかった)以降の選択の違いなのでしょう。一度道を間違ってしまうと信仰心の強さが判断を鈍らせ後戻りする勇気と決断力を削いでしまうのだと思います。

よく山で道に迷ったら迷ったと思われる場所に戻り助けを待った方が良いといわれます。迷ったと思っても(気がついていないとしても)体力に余裕があると思っているうちは無駄に歩きまわり助かる為の選択肢も条件も体力もどんどんなくなってきます。

同じ頃に入会した修行会員がもっと早く契山館のことを知って入会したかったと言っていたことを耳にしたことがあります。私もそう思っていた時期もあったのですが先のAさんのブログや思い出した映画のストーリーのことを考えるにつけてこのタイミングでしか実は入会出来なかったのかもしれないと思い至るようになりました。そして正しい道を歩み始めたと確信している現在はこれからの全ての行動、全ての発言が今は分からないけれど何かしらの意味が後になってあるかもしれないと感じています。

案外、希望は未来や自分の進もうとする先にではなく道を間違えて今の自分と価値観を形作った過去の選択を見つめ直すことにあるのかもしれませんね。

byゆたんぽ

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道に迷ったら無理に進んではならない」への7件のフィードバック

  1. 他団体の人でも、尊敬できる人は大勢います。

    修行者としての覚悟などは見習うべきと感じたこともありましたが、信仰を変える気は全くありませんし、水場霊魂学を知ってしまうと他に魅力を感じません。

    と、違う信仰の方も同じように思っているのでしょう・・・

    文章力の事を言われてしまうと、私は何も書けなくなってしまいます(笑)

    知識の引き出しも数少ないので、体験談しか書けません(笑)

  2. 僕も他の団体の人で、信仰心が凄い!と尊敬する人もいますよ~。
    でも残念ながら、高級な霊魂が関わっていないので、幽体はボロボロ、下の世界に行くと思います。
    もしも僕が、死後の上下を決められるなら、上に行かせたいですけど、
    法則は誰にもどうする事も出来ません(´・ω・`)
    霊魂学を学んで、死後の法則を知って欲しいです(´・人・`)

  3. それぞれの信仰を分けたものは、何でしょうかね。
    個人の環境や高級霊魂や補助霊との接点が僅かでも、あったのか。
    本人の意思が重いのだとは思いますが。

  4. 霊的な世界に関して、様々な情報が溢れていますが、間違った内容を信じてしまえば、役に経たないどころか、幽体の質を下げてしまう可能性さえあります。
    かといって霊的な情報に出会えなければ、幽体を知ることも、成長するきっかけもないので、幽体の質が上がることなく、やはり下がるだけです。
    ご自分にとって一番正しいと思う内容を、ぜひ探してください!

  5. 私が契山館関連のブログに投稿させて頂くようになって、半年近くが経ちましたが、毎回、このような内容で良いのだろうか?と迷いながらの投稿でした。

    もしかしたら、迷いながら、無理に歩を進め続けているのかもしれません。

    結局、私自身の霊魂学の理解を深めるために、投稿させて頂いているのではないか?との思いがあって、読んで下さる方に魅力のある内容というところまで、意図する余裕がないのかもしれません。

    まだ私は学び始めて日が浅いから仕方がないとか、内容はともかく、続けることにも意味があるかもしれないなどと、自身に言い聞かせて、甘えさせ頂いています。

    それでも、何かを変えていきたいとは思っています。やはり、体力が限界を迎えるまで、進み続けてはいけませんね。

    とは言え、本当に実感している事でないと説得力が出ないでしょうし、安易に迎合した内容で、読み手の方の関心を引くことは出来ないので、私にとっては難しい課題になりそうです。

    • なおいーさん
      感じ方、考え方は人それぞれです。そこに正しい答えなどありません。
      なおいーさんは契山館の門をくぐった時点で霊的生命体として正しい道を歩まれています。そこで見たこと感じたこと考えたことを発信することは必ず霊的に目覚めたい、進歩したいと考えている者の灯火と成り得ます。これからもどんどん寄稿してくださることを楽しみにしています。

      • ゆたんぽさん、ありがとうございます。

        仰る通りだと思います。

        ご助言頂きました通り、これからも、少しでもお役に立てますよう、投稿させて頂くつもりです。

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