なぜ、今、契山館なのか

契山館は、霊媒である水波一郎師が、高級霊魂の方々から受け取られた、水波霊魂学を学び、同様に、水波師を通して神霊が与えて下さった、神伝の法という修行法を実習する団体です。

それらにより、幽体と呼ばれる霊的身体等を鍛え、霊的な成長を目指しています。

さて、それではなぜ、今、私たちは契山館で学ぶ必要があるのでしょうか?

昔は、現代ほど霊的な環境が悪くはなかったので、伝統的な宗教を真面目に信仰していれば、死後は普通に幸せに生活できる世界に、入れる可能性が高かったそうです。

しかし現代は、人々から素朴な信仰心が失われ、良好な幽気(霊的な気)が降りる場所がなくなりました。

さらに、そこら中を、不道徳な霊魂や邪霊という、未発達で未熟な霊魂や悪霊が、跋扈する時代になってしまいました(肉眼には見えません)。

私たち物質界に生きる人間の肉体には、幽体という名の、死後の世界(幽質界)で、表面に出てくる霊的身体が重なっています。

この幽体の活力を高め、その健康を維持するためには、幽体の栄養源でもある、良好な幽気を吸収することが、必要不可欠なのです。

けれども、先に述べましたように、現在の物質界には、良好な幽気が降りなくなってしまいました。

私たちの幽体は、日常生活の中で、重要な栄養源である、良好な幽気を吸収することが出来なくなってしまったのです。

その結果、現代人の幽体は、栄養失調に陥り、活力のない不健康な状態になってしまいました。

その上、私たちの肉体器官では感知できませんが、私たちの幽体は、日々、不道徳な霊魂や邪霊と接触することにより、穢れていっているのです。

それはあたかも、何ヵ月も入浴をしてない人と接触し続けているうちに、その臭いが移ってしまうようなものかもしれません。

肉体の汚れは、入浴をすれば取れます。しかし、霊的な汚れである穢れは、肉体を洗っても落ちないのです。

さらに現代には悪い状況があります。それは、現代が激しい競争社会だということです。

望むと望まないとにかかわらず、現代人は、人と競わなければ生きていけないのが現実です。

人と競えば、多くの場合、優劣が決し、そこに勝者と敗者が生まれます。そのため、攻撃の念や嫉妬の念、恨みの念等が飛び交うことになるのです。

それらの念は、幽体の意識から出るので、肉体が影響を受けることはありません。しかし、攻撃性の強い念は、まるで弓矢や弾丸のように幽体を傷付け、ボロボロにするのです。

ところで、私たちが死後に向かう幽質界は、いくつもの階層に分かれた世界なのだそうです。そして、死後に入る階層を決める基準が、幽体の活力や健康状態、その成長の度合いなのだそうです。

幽質界では、上の世界へ行くほど、幽体に活力があり、健康状態も良く、幽体の成長の度合いが高い霊魂が住んでいるそうです。

一方、下の世界へ行くほど、その逆、すなわち、幽体に活力がなく、健康状態が悪く、幽体が未成長な霊魂が住んでいるそうです。

そして、上の方の世界は、幸せに生きられる、素晴らしい世界のようですが、下の方は、苦痛と恐怖に満ちた世界のようで、最下層は一般に地獄と呼ばれるような、おぞましい世界のようです。

もしも、死後に、そのような世界へ入ってしまったら、想像を絶するような耐え難い苦しみが、いつ終わるとも知れず、いつまでも、いつまでも続ていくのだそうです。
幽体には死がないので、苦痛に終わりがないのです。

さて、ここが問題です。

先ほど述べましたような、良好な幽気を吸えず活力を失い、不道徳な霊魂や邪霊に穢され、攻撃的な念を受けたボロボロの幽体。このような幽体の所持者が、死後に入る世界は、どこなのでしょうか?

それは残念ながら、苦痛と恐怖に満ちた下の世界である可能性が極めて高いのです。

さらに、問題は、死後の世界のことだけではないのです。

私たちの幽体の状態は、この物質界で生きる間の幸不幸にも、大きな影響を与えているのです。

実は、幽体というものは、その成長の度合いの近い者同士でないと、互いに視界に入らず、認識し合えないらしいのです。

認識し合えないということは、意思の疎通が図れず、影響を与え合えないと言うことです。

これは肉体と幽体が重なっている物質界の人間と、肉体を持たない霊魂との間でも同じです。

本来、物質界の人間には、各人に守護霊・指導霊という高級霊魂が担当者として付いて下さっていて、死後、下の世界へ落ちることがないように、ご尽力下さることになっているのです。

けれども、守護霊・指導霊の方の幽体のレベルは、現代の物質界の人間の穢れた幽体とは、比べ物にならないほど高いのです。

そうなると、ほとんどの現代人の幽体は、守護霊や指導霊どころか、助手役の補助霊という存在の視界にすら入らず、その所在さえ確認できないそうで、多くの場合、守護霊・指導霊は、何もすることが出来ないのだそうです。

一方、現代人の不健康で穢れた幽体は、不道徳な霊魂や邪霊の幽体レベルに近く、容易に彼らの視界に入ってしまうのです。

そうなると彼らは、その視界に入った人間の幽体に、悪戯をしたり、場合によっては、不幸になるよう画策をすることが出来てしまうのです。

その結果、その悪戯や干渉を受けた方の幽体は、さらに穢れを増していくことになります。

なお、幽質界が階層に分かれているのも同じ理由で、幽体レベルが近い者同士でないと、同じ階層には住めないのだそうです。

結局、自身の幽体レベルに合った所が、幽体にとっての、一番居心地が良い階層で、その他の階層では、長時間、過ごすことは無理のようなのです。

さて、それでは、私たちは、どうすれば良いのでしょうか?

もしかしたら、宗教的教義を学んで、善行・愛行を行えば良いと思われるかもしれません。

しかし、それでは駄目なのです。

もちろん、善行や愛行を行い、人格を高めることは素晴らしいことです。

でもそれは、肉体の脳内のことであって、幽体の健康状態を改善したり、幽体を成長させるものではありません。

肉体には肉体の意識があり、幽体には幽体の意識があります。それは、どちらも自分自身ではありますが、別の身体、別の意識であり、別の自分なのです。

ですから、肉体意識が、いくら善行・愛行を行じて、肉体意識の人格が高まっても、それはあくまでも、肉体意識内のことであって、それによって幽体が変わることはないのです。

別の角度から申し上げますと、肉体の健康を維持するためには、適切な栄養摂取や適度な運動が欠かせません。善行や愛行で、肉体の健康を維持することは出来ないのです。

また、肉体が病気になれば、治療を受ける必要があります。善行や愛行を行っても、病気は治りません。

同じように、幽体の健康を維持するためには、幽体にとっての栄養摂取と、運動に当たるものが必要なのです。

また、幽体が健康を損ねた時には、その健康を回復させるための治療が必要です。

では、幽体の健康を回復させたり、幽体に必要な栄養を摂取するには、どうすれば良いのでしょうか?

実は、そのために必要な修行法や技法が、全て契山館にはあるのです。

それが神伝の法という修行法と、霊的技術(霊術)という技法です。

どうぞ、契山館で水波霊魂学を学び、神伝の法を実習なさって下さい。

そうすれば、幽体は健康になり、格段に成長しますから、死後、下の世界へ落ちて苦しむ可能性は、ほぼなくなります。

また、この物質世界においては、幽体のレベルが、守護霊・指導霊のレベルに近づいていきますから、守護霊・指導霊の視界に入ることが出来ます。そうなれば、確実に霊的成長が図れるよう、指導が受けられます。

一方、不道徳な霊魂や邪霊とは、幽体のレベルが遠くなるので、そのような存在の視覚には入りにくくなり、悪戯や干渉を受けることがなくなります。

このように、契山館では、死後の世界まで続く、本当の幸福について学ぶことができます。

死後の世界まで続く幸福を、確実に実現するための方法を実習することができます。

この機会に、ぜひ、死後の世界まで続く幸福への道にお入り下さい。

byなおいー

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なぜ、今、契山館なのか」への2件のフィードバック

  1. まるで一冊の本を読んでいるかのように内容が凝縮されていますね。
    もっと詳しく知りたい方は、紹介されてる著書を読んで頂ければうれしいです。

  2. これだけたくさん成長出来るチャンスは生きている今しかありません。
    幽質の世界に行くと、自分の周りには同レベルの幽気しかありません。
    しかし物質の世界には、自分と比べて、質の低い幽気や質の高い幽気もあります。
    より高級な幽気を吸収すれば、急成長出来ます(*≧∇≦)b
    それどころか、契山館には霊気という、更に質の違う高級な気もありますし、更に神気もあります。
    こんなチャンスは、今しかありません!

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