「霊魂は居ると思いますか?」を再読して(その2)

[4月7日掲載、「霊魂は居ると思いますか?」を再読して(その1)からの続き]

第5章『霊魂が本当に居たら?』の、『4、死後の世界があったら困る?』においては、《水波一郎先生》は、次のように記しておられます。

(以下引用)
『世の中には死後の世界を頑として認めない人達が大勢います。ですが、そうした人達も、いざ、歳を取ると、急にお寺に行ったり、お経を読んだりするのです。それは、死が怖いからだと思います。』(中略)

『若い時は、辛い事があると自殺を考える人もいます。それは、人生がまだ長いからなのです。自分の人生があと少しで終わるかもしれない、そう思うと、自分が消えるという事が恐ろしくなるものです。』(中略)

『そんな怖い死であっても、死後の世界を確信していれば、それほど怖くはありません。』(中略)

『ですから、私は大勢の人達が、死後の世界を確信できるようになって欲しいのです。
(中略)
つまり、実は、死後の世界が(中略)、有ったら皆、本当は嬉しいのです。ただ、そんなものは迷信だ、と思っているから、死を恐怖するしかないのです。今は頑迷に霊魂や死後の世界を認めない人達も、いつか目覚める事を願っています。そんな人達が晩年、お経を覚えるよりも、死後の世界の本を読んでみよう、そう思える日が来ることを願っています。』
(引用終わり)

私は小さい頃から、身近な家族の死に直面したり、家庭の事情で、日常的に人の死を意識せざるを得ない環境に身を置いていました。

そのため、「人が死んだらどうなるのか」が常に頭から離れないような、暗い少年時代を過ごしました。

まだ難しい書籍は読めませんでしたし、家族や周囲の大人に聞いても、明確な答えは返ってきませんでした。

そして、私を恐怖のどん底に突き落としたのが、「人間死んだら、灰になって終わりだ」という、お坊さんの一言でした。その道の専門家であるはずの、お坊さんの発言であっただけに、決定的でした。

それからは、自身が死んで消滅する恐怖に怯え続け、学業にも全く身が入りませんでした。いつ死んで消滅するかもしれないのに、勉強どころではなかったのです。

でも、万に1つでも「死後の世界」があるのでは?と探究を続けた結果、20歳になる頃には、確信とは言えないものの、ほぼ、「死後の世界」は有るだろうと、思えるようになって、だいぶ落ち着きました。

でもそうですね・・・本当に確信が持てたのは、それから三十数年後、2年前に《契山館》に入会した後のことかもしれません。

やはり、知識として学ぶだけでは、《霊魂》や《死後の世界》を、100%存在すると確信することは無理なのかもしれません。多分、書籍を千冊読んでも、一万冊読んでも、難しいだろうと思います。

確信が持てたとしても、「でも、やっぱり・・・」とすぐに疑念が湧いてしまうのです。

仮に、幽霊を見たとしても、錯覚だったのではないか?などと、いくらでも疑念が持ててしまうものなのです。

結局、肉体意識は《幽質界》という《死後の世界》を知らないので、肉体の脳には物質世界以外のことは、理
解出来ないのかもしれません。

でも、私個人の感想ですが、《契山館》の集会や研修会に参加しますと、理屈を超えたところで、《霊魂》や《死後の世界》が存在すると実感させられます。

それは、圧倒的な実感を伴うもので、否定のしようがありません。

私の想像に過ぎませんが、質の高い《幽気》で、《幽体》があまりにも強い刺激を受けるので、重なっている肉体でも、何かを感じざるを得ないのかもしれません。

どうか、《霊魂》や《死後の世界》が有るかどうか、結論を出しかねておられる方や、有るとは思えても、確信が得られないという方は、お近くの《支部・分会集会》の見学にも、足をお運び下さい。

続いて
(引用始め)
『ただ、悲しいのは、霊魂も、死後の世界も、認めなかった人達は、ほとんどの場合、幽体が力をなくしているという現実です。幽体が健全になるには、水波霊魂学で言う幽気という気を吸収するのが一番なのです。幽気は、肉体で言えば、酸素のようなものなのです。幽気は、意図しても吸収できますが、霊魂を信じる宗教施設でも吸収できるのです。』
(中略)
『いずれにしましても、霊魂や死後の世界、宗教を嫌っている人は、幽体が弱いのが普通なのです。そうなると、どんなに立派な人でも、恐ろしい世界に入る恐れがあるのです。実は、霊的な事、宗教的な事を嫌う人の場合は、本当に、死後の世界が無ければ良かった、という事になる可能性があるのです。』
(引用終わり)

繰り返しになりますが、《霊魂》や《死後の世界》は存在しないと証明されているわけではありません。それなのに、安易に無いと否定したり、自身には死が訪れることはないかの如く、無関心でいることは、あまりにもリスクが高すぎます。

《契山館》の《支部・分会集会》や《研修会》に参加したり、《研修会》で習得した《霊的トレーニング》を家庭で行えば、《幽体》は高級な《幽気》を吸収するなどして、健全になります。

そうすれば、死後、恐ろしい思いをするような世界へ入ることを防げるのです。

せめて、そこまでの対策を行っておいて頂きたいのです。

また、第5章の、『6、真実を知ろう』では、以下のように述べておられます。

(引用始め)
『もしも、読者が大変に運が良く、たまたま正しい霊魂からの通信に出会えれば、それは実に素晴らしい事です。そうした通信は、ただ「霊魂の本を読め。」とは言いません。必ず、より質の良い幽気を吸収する為の手段を説明してくれるはずです。読者はそうした手段を用いて、質の良い幽気を吸収すれば、いつか必ず高級な霊魂の実在を感じる時が来ると思うのです。結局、最後は、体験して、自分が納得するしかないのです。』
(引用終わり)

《水波一郎先生》の記されたご著書や、《契山館》のホームページなどに出会うことが出来た私達は、本当に運が良いのだと思います。これ以上のものはない、最高の霊界通信と出会うことが出来たのですから。

《水波先生》のご著書の中では、質の良い《幽気》を吸収することの重要性と、そのために為すべきことが、何度も繰り返し述べられています。

それを実践すれば、誰でも《幽体》を健全化させることが出来ます。そして、実践するかどうかは、私達次第なのです。

最後に『終わりに』の一部と、本書の目次をご紹介致します

(引用始め)
『霊魂や死後の世界は客観的には、絶対に有るとも、絶対に無いとも、言えないのです。ですが、分からない、では済まされないのです。もしも、有った場合は、今、この瞬間の生き方によって、死後の生活が変わってしまうかもしれないからです。その上、今この瞬間にも、あなたの人生そのものに霊魂が関わっているかもしれないからです。
霊魂が居なければ良いのですが、居るのに、居ないつもりでいたら、随分と困った事になりかねないのです。』
(引用終わり)

最後に、本書の目次を転記しておきます。

目次

はじめに

第1章 霊魂って?
1、霊魂は居るの?
2、霊魂って、何?
3、幽霊が出た!
4、心霊写真が怖い!
5、コックリさんで手が動いた!
6、クラスに霊感の強い人が居る

第2章 科学的な研究
1、心霊実験
2、インチキ霊媒
3、本物の霊媒
4、実験したいのに?

第3章 科学的に…
1、霊能力者は皆、インチキ?
2、霊視はウソ?
3、金縛り(かなしばり)は霊魂の仕業ではない?
4、臨死体験で死後の世界を見た?
5、魂は絶対に居ない?

第4章 本当の事が知りたい
1、どちらが正しいのですか?
2、霊能力者の真偽
3、真実を知るには
4、霊視の実際
5、霊魂現象の実際
6、霊能力者の嘘を見破る
7、霊能力者を実験する

第5章霊魂が本当に居たら?
1、霊魂が居たらどうなるの?
2、死後の世界はあるの?
3、死後の世界はどんな世界?
4、死後の世界があったら困る?
5、霊魂も死後の世界も恐れるな
6、真実を知ろう

終わりに

byなおいー

♬♪ お近くの支部集会へ、ご見学に来ませんか? ♪♬

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7 thoughts on “「霊魂は居ると思いますか?」を再読して(その2)

  1. 霊魂の存在を信じるならば、後は正しい知識を勉強し、死後辛い世界に行かないための対策を練らなければいけません。

    色々な主張を勉強されても矛盾や疑念を拭いきれない人は、是非水波霊魂学を知ってほしいです。

    とにかく幽体の事を知らなければいけないのです。

  2. この世の事象には全てに理由があり
    特に誰が得をして誰が損をするのかをよく考えると以外にシンプルな話だったということがあります。
    霊的な法則や真理を無視して損をするのは今肉体を持って生きてる人間全てです。
    逆に無視させて得をするのは死後地獄に堕ちて来た人間を新たに子分にして勢力拡大を画策している邪霊軍団です。

    水波霊魂学の主張には論理的な破綻は一切ありません。真実を語っているからです。
    語られている真実が心に魂に響かない方は邪霊の罠にハマっているのかもしれません。
    今一度、くもりのない想いで我々の主張に耳を傾けて下さい。

  3. 半信半疑の方も是非、支部集会に見学とか、
    もしも死後の世界があった時の為に!っていう事で入会して合宿などに参加して欲しいです。
    最初は半信半疑でも、確信出来ると思いますよ(*´艸`*)

  4. なおいーさんは死後の世界があるだろうと思えるようになられて、心が落ち着かれたのですね。私は逆に、子供の頃から親に「絶対に無い」と説明を受けていたので、それに安心しきっていたのです。死ねば全部終わりだって。
    ある出来事から「死後はあるのかもしれない」と思うようになって、どんな未来が待っているんだろうと、今まで予想してなかった可能性が怖かったです。 数年後にパソコンで検索して、会のHPに出会えたから良かったのですが、パソコンを買わなかったらどうなっていただろうと考えると身震いします。。。
    このブログや契山館のHPにヒットされた方、ふーみんさんおっしゃる通り、最初は半信半疑で当たり前なので、ぜひ色々学ばれて「あるかもしれない」の可能性を検証されてくださいね!

  5. 死への恐怖はかなり深刻なものだったのですね。なおいーさんの実体験を聞かせて頂いて、他にも悩んでらっしゃる方も多いのだろうなぁと、考えさせられました。
    何か実体験がないと本当の意味では確信が持てませんよね。
    私も合宿や集会へ参加して初めて確信が持てました。

  6. 自我や意識が消滅して無くなる事を想像すると、とても恐ろしく感じるんですよね。
    最近はだいぶ、想像しなくなりましたが…
    そうした恐怖は多少なりとも、肉体から離れた時の事を知ろうとする意欲になりますね。

    • 私は小さい頃、一人になると、自分自身が消滅するとはどういうことなのか?と物思いに耽っていたようです。

      でも、いくら考えても、消滅するという意味が分かりませんでした。いや、消滅するとはどういうことなのか?というイメージが湧かなかった、と言う方が正確でしょうか。

      今にして思えばですが、いつも漠然とした死への恐怖に怯えていたのに、自己の消滅とは何か?と、死と正面から向き合っている時には、あまり恐怖感がなかったような気がします。

      そして、自己が消滅するというイメージが、全く湧かなかったということ自体が、死をもって自己が消滅することはない、という現実を物語っていたのではないか、と思う今日この頃です。

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