この世の善と悪

様々な宗教教義や、その類似思想では、人間は死後、善人は天国へ行き、悪人は地獄へ落ちる、などと言われることが多いと思います。

《契山館》と出会う前は、私もそう思っていました。

実際のところは、どうなのでしょうか?

意外に思われる方も、いらっしゃるかもしれませんが、《契山館》では、この世の善悪は、死後に入る世界を決める基準ではないと主張しています。

すなわち、善人が天国のような幸せな世界に入り、悪人が地獄のような苦しみに満ちた世界に落ちる、というわけではないのです(本稿では、一般的な意味で天国・地獄を使用していますが、本当は天国もっと上の世界、地獄はもっと下の世界で、死後、すぐに入るような世界ではありません)。

なぜならば、この世の善悪は、あくまでもこの世の中での善悪であって、あの世で通用する善悪ではありません。よって、あの世で入る世界を決める基準にはなり得ないのです。

この世の基準で、あの世の事は決められないのです。

今回は、その事について、いくつかのお話をさせて頂こうと思います。

ただし、誤解のないように申し上げますと、この世の善悪の基準が、あの世で入る世界を決める基準ではないからといって、この世での善悪の基準を無視しても良いとか、悪行を為しても良いという意味ではありません。

今現在、私達はこの世にあるわけですから、この世の法律や倫理道徳を重視し、それらに従って生きるのは当然なことです。

さて、この世の善悪の基準は、この世の人間の肉体脳により、作り出されたものにすぎません。

ですから、この世の善悪は、時代や地域によって異なるものです。

Aという時代・地域では、善として称賛されていたことが、Bという時代・地域では、悪として非難の的になる、などというようなこともあり得ます。

はたして、同じ行為を行った時に、Aの時代・地域の人は善行を為したとして天国へ行き、Bの時代・地域の人は悪行を為したので地獄へ落ちるのでしょうか?

また、薬品等を用いて脳に影響を与えれば、穏やかそうな善人が、凶暴な悪人に変身することもありますし、その逆もあり得ます。

脳の病気で、人格がすっかり変わってしまうこともあります。

果たして、自分の意思とは無関係に、薬品や病気の影響が脳に出て、凶暴な人格になってしまった人は、悪人として地獄へ落ちるのでしょうか?

更に、周囲から善人として敬われていた人が、実は自分が善人と思われたいがために、あるいは死後、地獄へ落ちたくないがために善行を為していただけ、などという場合もあるでしょう。

逆に、世間から悪人だと誤解されていた人が、実は心の優しい愛の塊のような人だった、としたらどうでしょう?

いったい、どちらが善人で、どちらが悪人なのでしょうか?

このように、善人と言っても悪人と言っても、人格が高いと言っても低いと言っても、全て肉体意識内のことで、その基準は、この世で一時的に通用するにすぎず、絶対的なものではないのです。肉体がなくなった後の《幽質界》、という《死後の世界》では通用しないのです。

《幽質界》での行き先を決めるのは、《幽質界》の側の基準でなければならないのです。

それでは、何が《幽質界》での基準なのかというと、この世では肉体と重なっている《幽体》という霊的身体の状態なのだそうです。

《幽体》が健全で活力があれば、この世と比べれば天国のような《上層の幽質界》へ入れる可能性が高まります。

一方、《幽体》が不健全で活力がなければ、この世よりも苦しく、まるで地獄のような《下層の幽質界》に落ちてしまう可能性が高くなります。

残念ながら、現代は私達を取り巻く霊的環境が劣悪なので、私達の《幽体》は、特別な対策を講じない限り、不健全となり活力を失ってしまうそうです。

《幽体》を健全化させ活力を高めるには、高級な《幽気》という霊的な気を、吸収する必要があるのです。

昔は神社の境内などには、高級な《幽気》が存在していたそうです。しかし、世の中から素朴な《信仰心》が失われて久しい現代では、この世の自然界には、どこにも高級な《幽気》は存在しないのが現実のようです。

それでは、本来、私達の《幽体》にとって、不可欠の栄養素である高級な《幽気》は、どこにあるのでしょうか?それがあるのは、高級な《霊魂》の方々がおられる、《幽質界》の上部なのです。

しかし、肉体を纏った私達人間が、《幽質界》の高級な《霊魂》の方々がおられる世界を、訪れられるわけがありません。

そうなると、残された唯一の方法は、高級な《幽気》に満ちた世界におられ、ご自身も高級な《幽気》をお持ちの《霊魂》の方々に、物質界の私達の近くにお越し頂き、その《幽気》を分けて頂くことです。

けれども、この方法も簡単ではありません。

なぜならば、高級な《霊魂》の方々の《幽体》の性質と、お持ちの《幽気》の質は、通常の物質界の人間の《幽体》の質や、空気中に存在する《幽気》とは、質が違いすぎるのです。

そのため、通常、高級な《霊魂》の方々と私達は、接点が持てないのです。

《幽体》は、自らの《幽体》の性質と、同質の《幽気》に満ちた世界に引き寄せられるらしく、《幽体》の状態によって、《幽質界》で入る世界が変わるのも、そのためのようです。

自らの《幽体》の質と異なる性質の《幽気》に満ちた世界は、居心地が悪いそうで、そこに滞在することは困難なのだそうです。

また、《幽体》の性質が違うと、お互いに視界に入り辛くなり、意思の疎通も出来なくなるのだそうです。

ところが《契山館》では、定められた作法で、儀式やトレーニング法を正確に行うことにより、高級な《霊
魂》の方々に、近くにお越し頂くことが可能なのです。

そのため、私達は高級な《幽気》を吸収させて頂き、《幽体》を健全化させることが出来るわけです。

《契山館》の《支部集会・分会集会》などの空間には、高級な《幽気》が存在していて、その空間に入れば、それを吸収させて頂くことが可能です。

また、《神伝禊法》《神伝鎮魂法》の2つの《神伝の
法》の《霊的トレーニング》などを行えば、毎回、高級な《幽気》をお持ちの、《指導霊》の方々にお越し頂き、高級な《幽気》を吸収させて頂けます。

このようにして、私達は《幽体》を健全化させ、その活力を高めることが出来るのです。

上記のように、この世での善悪の基準には関わりなく、私達が肉体の死を迎えた時の《幽体》の状態が悪ければ、《幽質界》での行き先は、苦しみに満ちた下層の世界になってしまうのです。

繰り返しになりますが、現代は、この世の霊的環境が著しく悪化しています。

激しい競争社会は、まるで戦場の如き状況で、そこら中を攻撃的な念の銃弾が飛び交い、互いに《幽体》を傷付け合っています。

また、この世に不道徳な霊魂が溢れ、空気中の《幽気》の性質が低下したため、その性質の低い《幽気》と接触し続ける、私達の《幽体》は穢れ続け、栄養失調になって活力を低下させています。

放っておけば、私達の《幽体》は不健全になる一方なのです。この世で普通に生きた方が、苦しみの世界へ落ちてしまう時代なのです。

この世でも、肉体の健康状態は、善悪の行いや人格の高低とは関係ありません。

善人でも悪人でも、適切な栄養摂取や適度な運動を怠れば、肉体の健康を損ねて、健常者と同じ活動が出来なくなります。それと同じなのです。

でも、《契山館》には、《幽体》にとって必要な栄養素や運動法があるのです。

それが前記の、《集会》などの空間であり、《神伝の法》などの《霊的トレーニング法》なのです。

続編に続きます。

byなおいー

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4 thoughts on “この世の善と悪

  1. 死後の世界があると信じていても、この世の善悪が基準で、死後行く世界が変わることを否定されると何が何だか分からなくなるのではないでしょうか。

    しかし、記事にもありますように、よくよくこの世の善悪の基準を勉強してみると、あいまいなことに気付きます。

    この世に法則があるのと同じで、あの世にも法則があります。

    水波霊魂学は、それを教えてくれます。

  2. 善人が天国に行き、悪人が地獄に堕ちる。

    もしそれが真実で動かし難い法則であればどんなに素晴らしいことか、そう考えているのは他ならぬ、契山館の修行会員なのです。

    しかし我々はそれが歪められた単なる願望に過ぎないことをその身をもって日々の霊的修行の中で確信しているのです。

    肉体を纏っている間ならまだ間に合います。恐慌の世界に行ってそれを予言していた人々がいたことを死後に思い出して後悔しても既に手遅れなのです。

    どうか、備えをして下さい。

  3. 物質の世界と、死後の世界は違うので、物質の世界の善悪が通用する訳がないです。
    是非、死後の世界の法則を知って欲しいです(´・人・`)

  4. 死後について知識が無いのが、一番怖いと思います。
    せめて今回のなおいーさんの記事の内容を、死ぬまでに知識として頭に入れておいていただければと思います。
    もし苦しい世界に死後入ってしまうことがあっても、神様がその人を地獄に落としたのでなく、自分の幽体の質がその世界を自然に選んでいます。
    苦しさから神様を恨んでも、状況は悪くなるだけです。

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