積年の夢叶う

今回は色んな意味で非常に危険なお話です。

何故、危険かと言うと、もしガッツリ語り出してしまうと話しが永遠に終わることがないからです。だから極力、余計なことは語らないように努めるつもりです。

でも語りたくてウズウズしている中での投稿ですので多少の脱線はご容赦願います。

今年2019年、40周年記念となります。ここで「ピーン!」と来た方はおそらく私と同じ穴のむじなです。

『機動戦士ガンダム』の初放映から今年で丸40周年の記念イヤーなのです。もはや、ガンダムの説明は不要かと思います(説明したいですが長くなるので割愛します)。とにかくファーストガンダム(マニアの間では第1作目をこう呼びます)をリアルタイムで観て以降、今日に至るまで筋金入りのガンダムオタクです。

ガンダムシリーズは全て同じ時間軸、世界観で描かれてはいません。全ての話しにガンダムは出て来るものの違う世界や地球が描かれていることがあるのです。だからそれぞれの世界設定と登場人物に多くのファンがいるのですが私は『宇宙世紀』シリーズが一番好きです。これはファーストガンダムと同じ世界の過去やその後、あるいは遠い未来を描いたシリーズです。

中でも『機動戦士Z(ゼータ)ガンダム』が私にとって最高傑作です。何が傑作でどう凄くどのくらい好きかをお話し仕掛けてハッと我に返りました。「ヤバイ!長くなる!」しかし一言だけ伝えるとしたらこの作品は私のその後の価値観や人生観、行動や思考の礎になったと断言出来ます。従来の勧善懲悪なステレオタイプのアニメの世界観から完全に脱却していて、誰しも己れの信じる正義ゆえに世界が複雑に混沌として行く様を描いた衝撃的な作品でした(しまった!チョット語り始めている)。

先のファーストガンダムも含めこの作品の世界を産み出したのがご存知の方もいらっしゃると思いますが《富野  由悠季(とみの  よしゆき)》と言う人物です。この人の産み出す世界観はガンダムも含め、ガンダム以外のいわゆるSFロボットアニメと言われるジャンルの物も斬新な設定が多数あり、ガンダムだけではなく日本アニメーションの先駆者とも言えます。

ここでガンダムには全く興味の無いと言う人でもこの富野  由悠季さんの凄さと偉大さを示すエピソードを二つ紹介します。

人には知られたくないあるいは知られてしまうと今の築き上げた地位や名誉が傷つけられてしまうと言う蓋をしてしまいたい恥ずかしい過去のことを『黒歴史』と表現することがありますがこの言葉を作ったのが富野さんです。これはファーストガンダムと同じ時間軸を描いた『ターンエー  ガンダム』と言う作品の中で世界中の人間が武器の全てを放棄して文明を作り直す為にそれまでに築き上げた文明を棄てる決意に至った元凶である最終戦争の時代を伝説として語り継ぐ為に人類の災厄の歴史を指して『黒歴史』と称して語り継いだと言う設定でした。私はこの作品も見ていますので当時の日本に『黒歴史』と言う言葉はありませんでした。これは富野さんの造語でその後、ネットスラングとして使われ始めてから一般に普及したのです。

もう一つは日本はおろか世界中でも名作だと多くの人々が見たであろう『アルプスの少女ハイジ』の製作に富野さんが携わっていたことなのです。実はこれは余り世の中には知られていません。この作品は場面設定、画面構成に『宮崎  駿』演出に『高畑   勲』と言う巨匠二人が名を連ねていたことは結構、有名な話ですが、絵コンテに『富野  由悠季』が参加していたことを知る人は少ないと思います(当時は本名の富野  喜幸で出ていました)。私もアルプスの少女ハイジのエンディングで流れるスタッフロールで気が付き、もしやと調べてみたら御本人でした。この作品では複数のスタッフが絵コンテを手掛けていますが富野さんは51話の「クララがあるいた」を担当していました。(他の回も何回か担当しています)

ヤバイですね。もっと短くしようと思っていたのにやはり溢れるガンダム愛からまたまた長文になってしまいました。その敬愛する富野さんがファーストガンダムの舞台でもある宇宙世紀の中で用いた好きな設定の一つで《ニュータイプ》と言うものがあります。

《ニュータイプ》これは物語を進める上で無くてならない大切な設定の一つです。物語の中で地球は増え過ぎた人口を宇宙空間にスペースコロニーを建造して移民をすることにより問題解決を図っていました。スペースコロニーへの移民が始まり半世紀以上が経つと宇宙空間と言う新たな環境を手に入れた人々がその真空と無重力空間の生活に適応すべく地上で生きる為に必要な五感とは別の新たな感覚(センス)を手に入れた者が現れ始めました。これがニュータイプです。

劇中でのニュータイプに関する認識や解釈なのですがニュータイプは超能力者でありません。少しだけカンが良いとか閃きに似たインスピレーションを持っている以外は普通の人間です。一見すると洞察力の優れたごく普通の人間にしか見えません。ニュータイプ同士なら遠く離れていても感情や簡単な意思を伝えることが出来ます。これは本来、宇宙空間という新たな環境に適応する為の人類の変革の筈でした。しかしこのニュータイプあるいはニュータイプとしての素養が高い人間は抜群にガンダムの様な人型兵器を操ることが上手なのです。正規の訓練を受けたベテランパイロットを凌駕する能力を発揮しました。後にニュータイプだけが操れる脳波でコントロールする武器等も開発されていきます。

戦時下ではその高い戦闘能力だけが注目されました。その為、薬物と催眠療法で人工的なニュータイプを作る実験が世界中の研究所で行われました。こうして作られた人工的なニュータイプは『強化人間』と呼ばれてやはりニュータイプと同様の高い戦果を挙げることが出来ましたが強化の途上で情緒が不安定になってしまう副作用と戦争の為に生み出された人間兵器と言う偏見と差別から皆、不幸な末路が待っているのでした。

ニュータイプの対義で、まだ新たな感覚に目覚めて居ない。地球に残り地上から宇宙移民者を支配、管理しようとした人々は『オールドタイプ』あるいは『重力に魂を引かれた人々』と呼ばれました。こうして敵味方、ニュータイプとオールドタイプ、互いに自分こそが正義と称する主義主張のぶつかり合いの中、戦いが続いていくのでした。

当時、高校生だった私はゼータガンダムにどっぷりハマりました。瞬きと呼吸を忘れるくらい毎週の放送を食い入る様に観ていました。当時の私の願い。それは

『ニュータイプ』になる事でした。

私はニュータイプになる努力をした訳ではありませんがきっとニュータイプ能力はなるものではなくそのうち目覚めるものだと信じていました。当時、ゼータガンダムから受けた感動と自身の中で作り上げたニュータイプ像に今現在の自分がかなり近づいたと感じているのです。全ては霊的修行の賜物なのでしょうか。こればかりはこの感覚を他人に説明することは不可能ですが何故か高校生の頃に自分が想い描いたニュータイプになれたような満足感を日々、感じています。

大丈夫ですよ!私は中二病をこじらせていますが人畜無害なので。

そういえば武道を始めたきっかけも漫画『北斗の拳』だったなぁー(笑)

byゆたんぽ

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積年の夢叶う」への5件のフィードバック

  1. 私の周りにもガンダムが好きな人は結構いますが、(プラモデルの仕上がり具合をやたら見せたがります)私自身はマジンガーZで終わっているので、ガンダムの事は全く分かりません(笑)

    ゆたんぽさんの記事を読んでいますと、ニュータイプの意味が何となく霊的な感性に近いように感じました。

    漫画家だけではないですが、何かしらインスピレーション的な事を否定しない人は、水波霊魂学を知ると、点と点が繋がるかもしれませんね。

  2. ガンダムは全く分からないですけど^^;
    とにかく契山館と出会えてよかったです(*´艸`*)

  3. 学生の頃、ガンダム好きな先輩に「あんたね、ファーストガンダムを見てないなんて、人生の9割は損してる。9割だぞ!」と、強めに言われた記憶が蘇りました。(^^ゞ
    世代を問わず、熱狂的なファンがいるすごい作品ですよね。
    今ならその先輩に、「水波霊魂学を知らないなんて、人生の9割以上損してますよ。」と言い返したい…。

  4. 私はガンダムについては、かろうじて名称に聞き覚えがあるくらいです。ニュータイプについては、初めて知りましたが、いわゆるインスピレーションの一種でしょうか?

    私も、いちおう芸術関係の仕事をしているのですが、確かに芸術は、インスピレーションが得られないと始まらないですね。

    プロとして必要な技術はありますけど、それは全てインスピレーションを、より正確に五感に感知出来るように、すなわち目に見えたり、耳に聞こえるようにするためのものです。

    逆に言えば、いくら技術を磨いても、表現の元になるインスピレーションが得られなければ、芸術家にはなれないでしょう。

    もっとも問題は、インスピレーションが、その分野の専門家の霊魂からのものであったとしても、必ずしも高級な《霊魂》、すなわち《指導霊》からのものだとは言えないことでしょう。

    私達が、《幽体》を鍛えて、その性質が高級な《霊魂》に近づかない限り、《指導霊》の指導が受けられるはずがないのでした。

    以上のように、芸術家で、インスピレーションの存在を信じない方は、少ないはずなのですが、その一方で、芸術家には束縛されることを、人一倍嫌う傾向があるので、一般的な宗教の教義や戒律を受け入れることには抵抗があります。

    その点、《契山館》には宗教的な教義や戒律がなく、この世の生き方は自由なので、芸術家にも受け入れやすいかもしれません。

  5. ニュータイプ同士だと相手が誰だか、ある程度分かるんでしたよね。
    独特のSEが鳴って、お互いに感知する場面はゲームでもよくありました。
    水波霊魂学的な解釈だと肉体を持ったまま想念がある程度、伝わる。
    そうした人類がニュータイプなのかもしれません。

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