修行… さぼりがち

最近、仕事が忙しいからと色々理由を付けて、あまり修行が出来ていません。(>_<)

お恥ずかしい話ですが、このところ、さぼりがちになっています。

お盆に入り、長い休みに入ったのですが、だからといって仕事がある日より修行をしているかというと、そんなことはありません。

実際のところ、やりたくないわけではないんです。霊的トレーニングを行うと、とても心地よいですし、気持ちも落ち着きます。

ただ、気持ちが途切れることがあるんです。

仕事であれば、頑張ればそれなりの成果としてお金が貰えたり、商品が売れれば達成感もあります。ですが、霊的な道はずっと続いています。頑張った分だけ成果があるかというと、そういうわけでもありません。

 

でも、霊的トレーニングのない生活ってどうでしょうか。。。仕事だけ、家事だけ頑張って、生活に追われている人生はどうでしょうか。

自分には耐えられません。

霊的トレーニングなしで、幸せに生きて行けたとしても、何か自分の中に重いものが溜まっていく気がしてなりません。

この世を幸せに生きるだけでは、収まりがつかない意識がどこかにあります。

というわけで、さぼりがちでも、何とか霊的トレーニングを続けているのでした。(^-^;

byこま

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修行… さぼりがち」への5件のフィードバック

  1. 私は本格的な修行を始めて、ちょうど1年が経ったばかりですから、まだ全くの初心者です。

    ですから、日帰りの《霊的トレーニングの基本研修会》でご指導頂いた修行法と合わせても、比較的短時間で行ずることが出来ます。

    しかし、その決して長いとは言えない時間でも、集中力が続いたことは1度もありません。

    点数を付けるものではないでしょうが、100点満点で10点にも遠く及ばないように思えて、《指導霊》の方々に申し訳ない限りです。

    漫然と行ずるだけでは、さぼっているのと同じだと、反省させられるばかりですが、日々、少しでも修行が進められるように、頑張って参ります。

  2. 時間をとられない修行法とは言え、同じ事を長年続けることは大変だと思います。ましてや修行の世界はゴールがあるのかどうかさえ分かりません。

    隣を見ても、答えが分かるものでもありません。

    私も、修行が単調になってしまうことがありますし、やらない時期もありました。と言うよりやらないとどうなるのだろう?と試したことがありました。

    その結果、よほど何かがない限りやらないことはなくなりました。

    今では、例え数分の行でもやらないと気持ちが落ち着きません。

    特に水の禊は、生活の一部です。

    人間が霊的生命体である以上、霊的なことを無視してはピントを外すような気がします。

    心の修行は、むしろ社会生活の中で学ぶことも多いですが、こまさんの言う

    「この世を幸せに生きるだけでは、収まりがつかない意識がどこかにあります。」

    その収まりがつかない意識の部分は、霊的トレーニングでなければ進化させることはできません。

    そこを進化させなければ、心の修行も本当の意味で成果がないのだと思います。

    霊的トレーニングは、同じ作法をしていても、ひとりひとり道のりが違うのではないかと
    個人的には思います。

  3. 霊的トレーニングの成果を自分で明確に確認できないですし、かといって、幽体のストレスを解消できないのも困ります^^;

    簡単な動作でも続けることが難しいのは、正に修行的な感じだと勝手に捉えてますねえ。

  4. 私も現状に気持ちが重くなりすぎていたりすると、行するまでに時間がかかります。
    行えば必ずスッキリとする、行をしたい.やらなきゃ!という気持ちと、もう少しだけ休んでから…という気持ちが心の中でせめぎ合います。
    そんな気持ちの揺らぎのない人間だったのならどんなに良いかと思いますが、揺らぎもやる気も、どちらも私自身ですし、どちらの気持ちも満足させるために、やはり行は欠かせないと感じています。

  5. 僕は長い休みの方がサボりますよ^^;
    仕事が毎日定時なら、仕事に行く前、帰って来てから、って習慣のような感じで続けられるんですけど、
    休みになると、そもそも朝起きないですからね(苦笑)
    そしてそのままダラダラと(-_-;)
    もしも僕が自分の指導霊なら、一生仕事をさせておくと思います^^;

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