争いがもたらすもの

人が複数集まれば、考え方、意見の集約が難しくなり、争いの原因になることもあります。

個人の争い、集団の争いなど、様々な争いがありますが、地域や国単位の争いに拡大すると、内戦や戦争という最悪な事態をも招きかねません。

私の仕事の分野でもそうですが、とにかく、人が10人も集まれば、何を行うにしても、考え方、意見が完全に一致することは、まずないように思います。

それは、私達、一人一人に個性があるのと同時に、その一人一人が、いまだに極めて未熟で、完璧には、ほど遠い存在なのですから、当然なのかもしれません。

また、そもそも、念で何でも創出することが出来る《幽質界》と違って、物質は有限で、しかも食べなければ生きられないのが、この物質界です。

そのため、肉体を維持するために、自己保存が全てに優先され、お互いに利害関係が対立するのを、避けることは困難なのでしょう。

中には、意見を異にする双方が、どちらも絶対に自分の意見が正しい、優れていると確信している場合さえあります。

そうなると、誤っている、もしくは、より劣った意見に違いない、相手側に譲歩する余地はなくなるので、意見の集約は困難を極めます。

結局、お互いに平行線のままで、行き着く所まで行かないと、収集がつかなくなることも少なくないでしょう。

どうも民事裁判から戦争まで、多くの場合、お互いに正当性を主張して譲れない状況下にあるようです。

考え方の違いによる対立は、どちらかが一方的に善で、どちらかが一方的に悪であるとか、どちらかが正しくて、どちらかが間違いであるというように、明確ではない場合も多く、円満な解決を難しくしているのかもしれません。

結局、この世での争いは、話し合いで解決するにせよ、法律に基づいた判決にせよ、力による解決にせよ、当事者の双方が、完全に納得出来る、という場合は、少ないのが現実でしょうか・・・。

問題なのは、意見が対立すると、攻撃的な念が出やすくなって、お互いの《幽体》に損傷を与え合い、《幽体》の健康状態を悪化させ、その活力を低下させる原因となることです。

そうなると、《幽体オーラ》が出にくくなりますから、《守護霊・指導霊》の視界には入らなくなって、その援助が受けられなくなります。

逆に、不道徳な霊魂の視界には入りやすくなって、その悪戯を受け、予期せぬ不幸に見舞われやすくなります。

そして、肉体の死後は、苦痛や恐怖、争いに満ちた、《下層の幽質界》へと落ちやすくなるのです。

もちろん、今現在、物質界のこの世に生きている以上、この世で必要な対策を取らなければならないこともあるでしょう。争いを全て避けることも難しいかもしれません。

この世で法律や倫理道徳を守ることは、重要なことです。それらを尊重しなければ、この世の秩序を保つことは出来ません。《契山館》でも、そのことを重視しています。

その一方で、法律による善悪の基準さえ、時代や地域によって変わるものであって、絶対的なものではないのも事実です。

ある地域、ある時代では合法であったことが、別の時代、別の地域では違法であるという事例は、枚挙にいとまがありません。

私達が忘れてはいけないことは、時代や地域によって異なる、人間が肉体脳によって作り出した善悪の基準は、肉体の死後に入る《幽質界》での行き先を決める基準ではない、ということです。

次元の異なる《幽質界》での行き先を決める基準は、《幽質界》側の基準でなければ困ります。

その時々に変化するような、この世の善悪の基準では困ります。

A国とB国で、同じ行為をした人が、A国では善人とされたので《上層の幽質界》に入り、B国では悪人とされたので《下層の幽質界》へ落ちる、などということはあり得ません。

《幽質界》で入る世界を決めるのは、この世では肉体と重なっていて、《幽質界》では前面に出る《幽体》の健康の度合いのみで、この基準は不変なのです。

《幽質界》では、《幽体》が最も住みやすい階層に、引き寄せられていくそうです。

《幽体》が健全で活力があり、強い《幽体オーラ》を放っている方は、同じような《霊魂》が集まる、《上層の幽質界》へと入ります。

逆に、《幽体》が不健全で活力がなく、《幽体オーラ》が出ていないと、同じような《霊魂》が集まっている《下層の幽質界》へと入ってしまうのです。

残念ながら、日常的に攻撃的な念が飛び交っている、この物質界で、全く《幽体》に念を受けずに生きるということは、ほぼ不可能なのが現実のようです。

ですから、《幽体》に攻撃的な念を受けることは避けられませんが、その念により、《幽体》が損傷を受けることを防いだり、受けた損傷を回復させることは可能です。

それが、《契山館》で指導されている、《神霊》より降ろされた《神伝の法》などの《霊的トレーニング》です。

ぜひ、ご自身の《幽体》の健康状態を改善させるためにも、《神伝の法》などの《霊的トレーニング》をお始め頂きたいと願っております。

この世での人生は長くても100年程度です。でも、《幽体》で過ごす《幽質界》での人生には、死がないのです。

そして、《幽質界》での人生の幸不幸は、《幽体》の健康状態によって決まり、その《幽体》の健康状態は、この世での生き方によって決まります。

争いによって、この世では満足出来る結果が得られたとしても、念で攻撃し合って、お互いの《幽体》をボロボロにし合って、双方とも死後、苦しみの世界に落ちたのでは悲し過ぎます。

喜ぶのは、私達の不幸を願い、仲間の増殖を画策している邪霊や不道徳な霊魂ばかり、などということがあってはなりません。

《契山館》では、《幽体》の健康状態を改善させるために、合宿形式での《神伝の法》の研修会の他に、日帰りで参加が可能な、《霊的トレーニングの基本研修会》も指導が行われていますので、詳細はお問い合わせ下さい。

byなおいー

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4 thoughts on “争いがもたらすもの

  1. 人間と言うのは、どうして争いが絶えないのでしょうか・・・念と幽体の現実を知ると、
    殺人や暴力と変わりません。しかし、日常のことなのです。

  2. この世に絶対悪など存在しません。

    人の数だけ意識の数だけ正義が存在しその正義が相対的に流動しているだけなのです。

    例え万人が眉をしかめる悪を為した者が居たとしてもその悪を為した者にとってその行為は絶対正義なのです。

    自身の正義を徹底的に疑って下さい。
    その上で高貴な意識に対して畏怖の念を持ち霊的生命体としての本来進むべき人生を歩んで下さい。

    答えは《契山館》
    救いは《神伝の法》にのみあります。

  3. 最近は、戦とか、戦争は少ないので、物質的な争いは少なくなったと思いますけど、
    自由とか、平等って言いながら凄い競争社会なので、念での争いはもの凄いと思います^^;
    幽体を成長させて、念で傷付かなくなるようになって下さい!(*≧∇≦)b

  4. 私達人間はたとえ少人数でもお互いに意見が合わないと常に念での戦いになってしまいますものね。悲しいことです。
    分かっていても戦うことを止められない、そんな醜い生命体ではありますが、既に霊的トレーニングという救いの道が用意されています。ぜひお知りになってください。

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