私が《契山館》の凄さを実感した時(その1)

1月22日掲載の「私が《契山館》の凄さを実感した時(序)」に続いての内容です。

私が、初めて《契山館》の本当の凄さを実感したのは、入会した数週間後の、2017年4月下旬に、初めて《契山館》の《支部集会・分会集会》に参加した時の事でした。

受付を済ませて席に座り、意識を正面に向けた途端に、まるで雷に打たれたかのような衝撃を感じて、背筋がピンと伸びて、襟を正さざるを得ませんでした。

そして、その瞬間、「この空間には、間違いなく、人間が平身低頭しなければ失礼に当たる程の、高級な霊的存在がお越しで、高級な気で満たされている」と感じられたのです。

《契山館》には、私が長年追い求めてきたものを、遥かに凌駕するものがある、と確信せざるを得ませんでした。

《それ》は、その時までに、様々な神社仏閣やパワースポット、諸宗教の中に求めても求めても、決して接することも、得ることも出来ないものだったのです。

私が追い求めていた《それ》が、高級な《幽気》であったことが分かりましたし、《それ》は現代では、《契山館》にしか存在しなかったのです。

そういう意味では、《契山館》こそ、真の意味でのパワースポットだとも言えるでしょう。

帰宅した私は、「《契山館》で本格的に学んでいきたい、本格的な《霊的トレーニング》を行っていきたい」と心が定まり、数日後には一般会員から修行会員への、会員種別変更をお願いしたのでした。

この世に、本当に高級な《指導霊》の方々が存在されている空間があるとは、現代においては、まさに奇跡だとしか言いようがありません。

とは言っても、《指導霊》の方々や、高級な《幽気》などの霊的な気が、目に見えたり、肌で感じられるわけではありません。

ですから、私が申し上げている事を、客観的に証明することは出来ませんし、私が主観的に感じた事を、他の方も同じように感じる、というものでもないと思います。

しかし、人間は誰でも霊的な生命体で、肉体の他に、《幽体》などの霊的身体を所持しています。

肉体の死後は、誰でも《幽体》の存在、すなわち《霊魂》として生き続けるのです。

ですから私は、真剣に真実を求める気持ちさえあれば、誰でも何らかの形で、《契山館》の凄さや素晴らしさを、感じることが可能だと思っています。

この《契山館》の圧倒的な凄さをお伝えするための言葉が、この世に存在しないのが残念でなりません。

ぜひ、お近くの支部や分会にお越し頂き、ご自身で体験して頂きたいと思います。

《契山館》では、《群馬支部》を始め、東京・名古屋・大阪の各支部と、千葉・静岡・福岡の各分会で、定期的に《支部集会・分会集会》を行っています。

会員以外の方でも、見学が可能ですので、開催日時等の詳細は、各支部・分会へお問い合わせ下さい。

《契山館》では、強引な勧誘や、退会希望者への引き留め等は、一切、行っておりませんので、ご安心下さい。(続く)

◇本稿の内容は、全て、私の主観的な体験に基づくものです。同じ行事等に参加しても、感じ方は、個人により大きく異なることと思います。

byなおいー

♬♪ お近くの支部集会へ、ご見学に来ませんか? ♪♬

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私が《契山館》の凄さを実感した時(その1)」への2件のフィードバック

  1. 契山館は、人間としては未熟な人間の集まりですが、だからこそ修行者として、なおいーさんの仰る「この空間には、間違いなく、人間が平身低頭しなければ失礼に当たる程の、高級な霊的存在がお越しで、高級な気で満たされている」この場所で集い、水波霊魂学を学び、日々の生活の悩みや、他愛もない話などもしております。是非、一度見学に来て下さい!

  2. みんな、なおいーさんのように感じられたら目覚める人が多くなるでしょうね(*´艸`*)
    でも実際は、幽体は感じても、なかなか肉体にまでは伝わらないので、何も感じない人がほとんどだと思います。
    肉体は、通常は物質しか感知出来ないので、何も感じなかったとしても、確実に高級な気で満たされているので、ぜひ来て頂きたいです!
    幽体のあまりの感動が肉体にまで伝わる方も中にはいると思いますよ(*´艸`*)
    合宿なんて感動がもの凄いです!

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