節分の豆

2月3日は、本年の節分でした。

節分には、季節を分けるという意味合いがあって、本来は立春・立夏・立秋・立冬、それぞれの前日を指したそうですが、現在では主に、立春の前日を指す場合が多いようです。

今年の立春が2月4日なので、その前日の2月3日が節分になるわけです。

さて、節分と言えば、「豆まき」が行われることが多いと思います。

「福は内、鬼は外」などと言いながら豆をまくと、邪気が払われる、などと言い伝えられているようです。

今回は、伝統行事としての「節分の豆まき」について深入りはしませんが、私見ながら、少なくとも現代においては、通常「豆まき」によって邪気を払うことは難しいと思います。

邪気とは、「性質の低い幽気」のことだと推測されますが、それを祓うには、《高級な霊魂》の方々にお越し頂いた上で、《高級な幽気》を降ろして頂くことが不可欠です。

しかし、「この世」と《高級な霊魂》の方々がおられる世界とは、霊的な環境が違い過ぎるので、《高級な霊魂》の方々にお越し頂き、《高級な幽気》を降ろして頂くには、特別な契約と、定められた作法を定められた通りに行うことが必要です。

残念ながら、その段階を経ずに、人間が《高級な霊魂》の方々に、お越し頂くことは出来ない、と考えられるのです。

ですから、伝統行事としての「豆まき」を否定するつもりはありませんが、「豆まき」で邪気を払うことは出来ないと考えるのです。

もっとも、このような時代ですから、本気で「豆まき」で邪気が払われると信じている方は、かなり少なそうです。

さて、前置きが長くなりましたが、先日、節分の数日前に、実家の母から、「豆まき」の豆を購入してきて欲しい、との依頼を受けました。

母は、仏教徒なので、毎年欠かさず「豆まき」を行っているのでした。

私は、近所のスーパーで「豆まき」用の「豆」を購入して、母に届けたのですが、その「豆」の入ったビニールの袋に、ふと目が止まりました。

そこには、ある霊場の名称が書かれ、その下には「祈願」の文字が並んでいました。

どうやら、その霊場内の宗教施設で、何らかの祈願を受けた「豆」、もしくは、その宗教施設の宗教家が、どこかに出向いて、大量の豆の前で祈願を行った、ということなのかもしれません。

ここでは、その宗教施設内で祈願を行ったという仮定で話を進めますが、その「祈願」の文字に、私は、少々、違和感を覚えました。

私の中では、祈願とは、人間が襟をただして、謙虚に行うべきものだったのです。

それを1度も参拝したこともない、祈願をお願いしたこともない宗教施設で、突然、祈願済みだと言われたようで釈然としなかったのです。

《高級な霊魂》の方々は、この世の人間の自由意思を尊重されますから、依頼を受けていない人間の祈願を、一方的に受け付けるとは、とても考えられないのです。

もちろん、大量生産品ですから、実際に祈願したのかどうかは分かりません。

言葉だけで、実際には祈願など行っていないのなら、この世的には問題でも、霊的には、むしろその方がありがたいような気がしたのです。

客観的に証明は出来ませんが、現代では《契山館》以外の宗教施設の空間が、《高級な幽気》で満たされている可能性は、ほとんどないでしょう。

それどころか、極めて質の低い幽気が、満ち溢れんばかり、等ということが多いのが現実だと思います。

そのような空間に人間が入れば、幽体が穢れを増すことは、火を見るより明らかです。
最悪の場合、邪霊や不道徳な霊魂の干渉すら、受けかねません。

本当に「豆」が、祈願を受けたのであれば、その極めて性質の低い幽気が、「豆」にも付着してしまったかもしれない、と思ったのです。

下手をすれば、性質の低い幽気を、全国の家庭へ宅配することになってしまいます。

もっとも現代は、そこら中に性質の低い幽気が溢れている時代ですから、宗教施設に限らず、どこで低い幽気と接触し、それが何に付着したとしても不思議ではありません。

このような時代ですから、私達は、性質の低い幽気と接触し、それを《幽体》に付着させたり、吸収してしまうことを、避けることは困難です。

でも、心配はありません。《契山館》には、安全確実な対処法があります。

《神伝の法》の1つ、《神伝禊法》等を行えば、《高級な霊魂》の方々のご助力を得て、低い《幽気》を祓うことが出来るのです。

自身で《神伝の法》の《霊的トレーニング》を行えない場合には、《霊術》を受けて、それらを祓って頂くことも可能です。

いずれにしても、低い幽気が蔓延している現代の霊的環境は異常です。

特に宗教施設の空間に、《高級な霊魂》の方々がおられず、《高級な幽気》も存在しないというような状況は、本来、あってはならないことだと思います。

ただそれも、素朴な信仰心を失い、長年にわたって、宗教施設を身勝手なご利益を求める場としてきてしまった、私達人類の責任であるという事実を、忘れてはならないでしょう。

今こそ何としても、この世に《高級な幽気》を増やしていかなければなりません。

それには《神伝の法》の《霊的トレーニング》を行い、《幽体》を健全化し、成長させた方を増やすしかありません。

健全化し成長した《幽体》は、強い《幽体オーラ》を放つので、《高級な霊魂》の方々の視界に入ります。そうすれば、《高級な霊魂》の方々が、その幽体保持者に近付くことが可能になります。

それは、《高級な幽気》をお持ちの《高級な霊魂》の方々の、この世での活動領域が広がることを意味し、この活動領域が広がれば広がるほど、この世に存在する《幽気》が高級になるのです。

1人でも多くの方に、1日でも早く、《神伝の法》の《霊的トレーニング》を始めて頂けることを、願って止みません。

byなおいー

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4 thoughts on “節分の豆

  1. 霊魂学的にも、豆に穢れた幽気が付着している可能性はないとは言えませんね。恐ろしい時代です。

    現代で霊的トレーニングをしている人は、霊的には闇夜の灯りでもあると思います。
    灯りが増えれば、指導的な霊魂方の活動もより活発になると思います。

    なおいーさんの仰るとおり、霊的トレーニングを行う方が一人でも増えて、少しずつでも地上の幽気が奇麗になって行くことを、願うばかりです。

    一人が霊的トレーニングを行うと言うことは、自分自身の霊的な成長だけではないと思います。

  2. こういう行事を思うと、昔の人達は、霊的なことを中心に生活を営んでいたんだなぁと、今の物質的な感覚が恥ずかしくなります。

    でも、節分用に、祈願された豆が売っているのですね。( ゚Д゚)

    現代では、信心深くて、祈願された豆を買った人の方が、霊的に悪い影響があるかもしれないなんて、恐ろしい時代ですね。

  3. 節分は節目の日だったとは知りませんでした。勉強になりました(^^)
    昔の人は今とは比べ物にならないほど、細やかな感性で季節を感じておられたのでしょうね。
    経済活動優先で、祝日の日も平気でずらす昨今の風潮をご覧になられたら、昔の人はきっとびっくりされることでしょう。

    特に神様への感覚はまるで違うように感じることでしょうね…。
    豆まきにしたって、テレビで流れるのは、鬼役の人が子供を怖がらせているシーンと、芸能人が投げるおひねりを人々が拾っているシーンばかり。
    意味合いがまるで変わってしまいましたね…。

  4. 「福は内、鬼は外」って自分勝手な掛け声ですよね^^;
    鬼は出て行って、福だけ来い!って。
    そんな行事に高級な霊魂が関わるとは思えないです。
    ましてや、宗教施設が率先して行うなんて(-.-;)

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