私が《契山館》と出会えたのは・・・

私が《契山館》に入会したのは、ちょうど3年前のことです。正確には2017年の3月初旬に入会手続きをしまして、同年4月から正式な会員となりました。

最初は一般会員として入会したのですが、複数箇所の《支部・分会集会》に参加した後、同年の4月下旬には、修行会員への変更をお願いしました。

そのあたりの事は、過去に詳しく述べた事がありますので、今回は、その前の、私が《契山館》の存在を知った時の事について、詳しく述べさせて頂こうと思います。

私は《契山館》と出会う前に、様々な宗教団体や、その類似団体に所属しては失望して離れる、ということを、何度も繰り返していました。

私が《契山館》の存在に気付く直前の、2016年というと、諸団体とは5年ほど距離を取り、「日本にはもう本物の宗教はないだろう。もはや信頼出来る指導者もおられないだろう」と諦めながらも、「本物を学んで、霊的に向上したい」との思いは抑え難く、悶々としていた時期でした。

当時は、「利他的な愛を高め実践する事こそが、霊的に進歩・向上することだ」と確信していたので、日々、その実践を心がけていたのですが、挫折をする事の繰り返しで、どうすれば愛の人になれるのか、と途方に暮れていたのです。

どんなに利他的な愛が大切だと思っても、半日経てば食べ物の事しか考えられなくなりますし、起きてから20時間も経てば、眠る事しか考えられなくなってしまうのです。

《契山館》に入会した今にして思えば、肉体の意識が前面に出ている物質界では、肉体を維持するための、利己的な自己防衛本能が優先されるのは当然で、物質界では、本物の利他的な愛が実践出来るはずがなかったのです。

すなわち、この物質界で愛を深めようとする事は、物質界においては素晴らしい事なのかもしれませんが、それはあくまでも肉体の脳内の事で、それによって別次元の霊的意識が向上するわけではなかったのです。

さて、私は2016年の頃には、そのような状態だったのですが、夏頃からか秋頃からか、どういうわけか「龍」という存在に興味が出てきたのです。

それまでは、「龍」という存在の実在は信じていましたが、強大なパワーへの恐れと、ご利益信仰とのイメージの結び付きから、何となく警戒心が働いて距離をとっていたのです。

それでも急に「龍」が気になり出したので、たまにインターネットで検索したり、関連する書籍にも何冊か目を通してみました。

しかし、その内容は予想通りで、ご利益信仰や自己実現を謳ったものでした。

正直な話、なぜ「龍」が気になるのか分からなかったのですが、ある日、それは2016年の年末か2017年の年始だったと記憶しているのですが、《龍》という書籍が目に留まりました。

しかし、著者も知らない方でしたし、その時はそれ以上興味を持つことはありませんでした。けれども、「龍」について検索する度に目に入る《龍》の書籍が、次第に気になり出したと記憶しています。

そして日増しに《龍》への関心が高まり、抑えきれなくなった私は、ついに2017年の1月21日に、アマゾンにて《水波一郎先生》著の《龍》を購入したのです。

翌日の夕方、《龍》を受け取った私は、夕食を摂るのも忘れて、一気に数時間で読み終えました。

それまでに読んでいた、どの宗教書とも、霊界通信物とも違う何かを感じました。人間の頭で考えて書ける書籍ではないと確信しました。

しかし、それまでに私が学んできた宗教教義等とは、根本的に異なる点があったので、すぐに受け入れる事は出来ませんでした。

けれども、当時発売されていた20冊の《水波一郎先生》のご著書を拝読するうちに、「まず《幽体》を鍛える事が必要」、という《契山館》の主張を肯定せざるを得なくなり、2017年の2月中旬から下旬に入会を決意したのです。

私が今でも不思議なのは、「あの時、なぜ私が「龍」という存在に、興味関心を持ち始めたのか?」ということです。

もしあの時、私が「龍」という存在に興味を持たず、インターネットで検索することがなければ、私はあの時、《契山館》と出会う事は出来なかったのです。そして、今でも無縁であった可能性が高いと思うのです。

ここから先は私の想像ですが、あの時私が、「龍」という存在に興味を持ち、その結果《龍》の書籍に出会って、《契山館》に入会する事が出来たのは、数ヵ月間以上に及ぶ、《補助霊》の方々の全身全霊をかけての継続した働きかけがあったからだと思うのです。

もちろん、それを指示して下さったのは、私を担当されている《守護霊・指導霊》の方々だったことでしょう。

私のように、何十年も全く気付かなかった者に対して、諦めずに働きかけ続けて下さったご恩は、どんなに思いを尽くしても、とてもお返しすることが出来ないほど大きなものです。

思えば、あの時が私にとっての最後のチャンスだったのかもしれません。

もっと早い時期では、それまでに関わった諸団体の影響が抜けきれておらず、《契山館》の主張を受け入れる事が出来なかったかもしれません。

もっと後だったら、もう私は、本物の指導者や宗教を探すことを、完全に諦めてしまって、霊的な事をインターネットで検索する事もなくなっていたかもしれません。

もしあの時、私が気付くことが出来なかったら、私は不道徳な霊魂に翻弄されながら肉体の死を迎え、死後は幽質界の下層で、邪霊の子分に痛め続けられることになったでしょう。

それを思うと、《守護霊・指導霊・補助霊》の方々は、私の命の恩人ならぬ、魂の恩霊魂とも言える方々です。

ところで、《契山館》と出会わせようと、《守護霊・指導霊・補助霊》の方々が、全力で働きかけておられたのは、私に対してだけだったのでしょうか?そんなはずはありません。断じてありません。

今、この《契山館群馬支部ブログ》を訪れておられる皆様の《守護霊・指導霊・補助霊》の方々も、きっと私の時と同じように、皆様に働きかけておられるのではないでしょうか?私には、そのように思えてなりません。

今が、最大のチャンスかもしれないのです。

byなおいー

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私が《契山館》と出会えたのは・・・」への3件のフィードバック

  1. 宗教を避けてばかりいては、霊的な真実を知ることはありません。当会のメーセージが何となく気になったら、もしかしたら指導的な霊魂のインスピレーションかもしれません。動画や書籍もたくさんあるので、いろいろ見て欲しいです。

    水波一郎師の「龍」はおそらく他とは全く主張が違います。御利益に興味がある人にはつまらないかもしれませんが、霊的な真実が知りたい人には是非読んで欲しいです。驚く内容です。

  2. なおいーさんの「魂の恩霊魂」というお言葉・・・おっしゃる通りですね。
    会員は人それぞれ、色々な経緯で入会していますが、その背景には補助霊方をはじめとする高級霊魂方のどれだけのご苦労があったことか。本当に感謝してもしきれません。

    神・高級霊魂を否定する気持ちさえなければ、どんな方にも、導こうとされる霊魂方からの導きが必ずあると思っています!

  3. 契山館のホームページや、水波先生の本は、どれも『衝撃的』ですよね(´艸*)
    僕も始めの頃は、宗教嫌いだったので、契山館のホームページを開いても、宗教だと気付くと直ぐに閉じていました。
    でも、気にはなっていて、ある日、ホームページをしっかりと読んでみると、
    あの衝撃は今でも忘れられないです(*´艸
    )
    一般的な常識とは全く違うし、それでいて、どう否定しようと思っても正しい。
    無我夢中で、1週間くらいかけてホームページを隅から隅まで読みました。
    是非あの衝撃を味わって欲しいです(´艸`)

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