このように考えたら、私は《契山館》の主張を受け入れられた(1)

私が《契山館》の書籍等に出会ってから、その主張を受け入れて、入会を決意するまでに、約1ヶ月かかりました。

なぜ、なかなか入会が決意出来なかったかというと、書籍等の内容に理屈を越えた感銘を受けながらも、それまでに私が学んでいた様々な宗教教義とは、根本的に異なっている点があったからでした。

《契山館》では、まず《幽体》という肉体と重なった霊的身体を、鍛えて健全化し成長させる、ということを何よりも重視しています。

そして、そのための《霊的トレーニング法》である《神伝の法(神伝禊法・神伝鎮魂法を)》の指導がなされています。

《幽体》が健全化して、強い《幽体オーラ》が放たれるようになれば、《高級な霊魂》の方々との接点が増え、逆に不道徳な霊魂や邪霊の子分などは、遠ざける事が可能になります。

その結果、この世においては《守護霊・指導霊》などの《高級な霊魂》の方々の援助を受けながら、霊的に正しい人生を歩む事が可能となる一方、不道徳な霊魂等の干渉により、予期せぬ不幸に見舞われる危険性が低下することになります。

さらに肉体の死後は、健全な《幽体》で《幽質界》という死後の世界へと入れますので、下の方の恐ろしい世界へと落ちる危険性が低下します。

すなわち、この世においても、死後の世界に入ってからも、《幽体》が健全であるかどうかによって、私達の幸不幸が分かれるのです。

さて私は、《契山館》と出会う前から、《幽体》が存在する事を、そして霊的に成長し、死後に上の世界へ入るためには、その《幽体》を成長させる必要があることも知っていました。

ただ、日々の生活の中で善行・愛行を実践し、宗教教義に基づいた反省行を行っていれば、人格・霊格が向上し、それに伴って霊的身体である《幽体》も成長して、強いオーラを放つようになるものと信じていたのです。

ですから、『善行・愛行・反省行等のみでは、《幽体》が健全化したり成長することはない。《幽体》を健全化・成長させるためには、《神伝の法》という、特別な《霊的トレーニング法》を実習する事が必要だ』、と言う《契山館》の主張が受け入れられなかったのです。

そこで、どのように理解したら、以上の点を納得することが出来たのか、というのが今回のテーマです。

第1に、私は身体の健康と、心の問題を混同していました。

すなわち、善行・愛行等の実践に励んでも、それによって肉体の健康が増進するわけではありません。

肉体の健康を維持し、さらに増進させるためには、適切な栄養摂取と適度な運動等が必要なのでした。善人が健康になるわけでも、悪人が病気になるわけでもなかったのです。

同じように、《幽体》の健康維持や健康増進のために必要なのは、《幽体》にとっての栄養摂取と運動にあたる《神伝の法》なのでした。

第2に、この世の善行も愛行も、不完全なもので絶対的なものではありません。

例えば、善悪の基準は、時代や地域によって大きく変わります。Aの時代には善とされたことが、Bの時代には悪とされるとか、現代でも同じ行為が国によって犯罪になったり、ならなかったりします。

そのような曖昧な基準によって、死後に入る世界が変わっては困ってしまいます。

同じ行為を行った時に、その行為が合法だったA国の人は、上の方の幸せな世界へ入り、それが違法だったB国の人は、下の世界へ落ちて苦しむ、等ということがあるはずはありません。

そもそも、死後の世界である《幽質界》で入る世界を決める基準は、この世の基準ではなく、《幽質界》側の基準であるべきだと思います。

私達が納得しようがしまいが、『《幽質界》で入る世界を決めている唯一の基準は《幽体》の状態である。そして、この世において《幽体》を健全化し成長させるためには、《神伝の法》の《霊的トレーニング》を行う必要がある』と、《高級霊魂》の方々が伝えて下さっておられるなら、それを素直に受け入れるべきだと思ったのです。

愛にしても、相手のためだと思って行った行為が、相手にとっては迷惑であることなど、この世では日常茶飯事です。

肉体の意識から離れられないこの世では、肉体の自己保存欲から離れた、本物の霊的な愛を、理解することも実践することも、出来るわけがなかったのです。

第3に、前記のように、この世で前面に出ている意識は、あくまで肉体脳内の意識でした。

善行・愛行に励んで、この世で人格者となることは、この世においては素晴らしいことかもしれません。

この世において、法律や倫理道徳を守ることも、愛の深い人になろうと努めることも、重要なことだと思います。

ただ、この世においては尊いことでも、それらはあくまでも、肉体脳内の事であって、それらによって、次元の異なる身体である《幽体》が健全化したり、成長したりすることはなかったのでした。

さて次回は、《契山館》の主張が、それほど重要であるのなら、なぜ、今までの宗教等で、主張されてこなかったのか?という疑問について、どのように理解したら、私が納得することが出来たかについて、述べさせて頂く予定です。(続く)

byなおいー

 

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このように考えたら、私は《契山館》の主張を受け入れられた(1)」への3件のフィードバック

  1. 新しい主張を受け入れるのは、相当心の葛藤があったと思います。なおいーさんさんの体験談は、何を信じて良いか悩んでいる人には、大変貴重だと思います。

  2. 僕も初めて知った時は衝撃的でしたよ~。
    でも、どう否定しようとしてもダメで、絶対に正しい!って思ったんですよね~。

  3. なおいーさんは、ご自身のことをよく見つめられていて、本当にすごいです。

    私の思考はどうだったでしょうか…。(◎_◎;)
    テレビで流行っていたスピリチュアルに比べてたら、こちらの説はなんてすごいんだ!と思ったのは確かです。

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