それでも神は存在する

物質科学万能?の時代、無神論が隆盛を誇っていて、「神など存在しない」との声を耳にすることも少なくありません。

いや正確に言えば、最近では、そのような声を耳にする機会さえなくなってしまったかのようです。

「そんな当たり前のことを、改めて口にしたり、論ずるまでもない」ということなのでしょうか?

私が若い頃、それは30~40年ほど前のことですが、よく都内のアパートで、神や諸宗教の教義等について、友人達と徹夜で論じ合ったものです。

今から思えば、某教団が重大な事件を起こす前は、まだまだ良き時代でした。

私は当時、信仰していた宗教の教えを、あちこちで公言していましたが、あまり白い目で見られるということは、なかったと記憶しています。

当時も、そしておそらく今も、「神は存在しない」と断言して、そう確信するに至った根拠を述べる方がおられます。

たとえば、「神が存在するなら、なぜ、戦争が起きるのか?」とか、「神に家族の病気平癒を必死に祈ったのに、願いが叶わなかった」等と主張される方が、少なくないようです。

その根底には、「もし、神が存在するなら、人間が不幸になるはずがない」とか、「不幸から必ず救ってもらえるはずだ」、「そうでなければおかしい」等といった思いがあるのかもしれません。

しかし、私達は冷静に判断する必要があります。

そもそも、この世に存在する不幸は、直接的間接的を問わず、私達人間が、自由意思を行使して選択をしてきた結果であって、神から与えられたものではありません。

不幸の原因の中には、幽体意識に潜在している、過去世の記憶に基づく《霊的カルマ》によるものや、悪い霊魂の干渉によるものもあるかもしれません。

けれども、それらの不幸も、神の責任によって起こっているわけではないのです。

そもそも《神霊》の下で活動しておられる《高貴な霊魂》の方々の意見に耳を貸さずに、物質界へと生まれることを選択してしまった私達人類には、物質界で不幸になったところで、神や上の世界の《霊魂》の方々に対して、不平不満が言える立場ではありません。

それなのに、たとえその願いが利己的なものではなかったとしても、自らの願いが叶わないという理由で、簡単に「神が存在しない」と、断じてしまってよいのでしょうか?

神とはいっても、唯一絶対の根源神のことは、あまりにも遠すぎる存在です。

私達人類にとっては、最高の霊的存在である《神霊》が、神であると考えてよいでしょう。

しかし、その《神霊》も、私達通常の人類とは、直接接点がない遠い存在です。

人間は通常、《神霊》の身体である《神体》を所持していないので、《神霊》とは、直接、交流のしようがないのです。

ですから、私達普通の人間が、どんなに心を込めて祈ったところで、その祈りが《神霊》に届くことはありませんし、《神霊》の存在を実感することさえ不可能です。

ただ、《契山館》の主宰者《水波一郎師》を通して、《水波霊魂学》や《神伝の法》を降ろしておられる、上の世界の《霊魂》の方々が、《神霊》に仕えておられて、《神霊》は実在すると仰るなら、私達は、それを受け入れるしかありません。

私達の肉体脳で論じたところで、肉体脳には霊的世界のことは、何も分からないのです。

人類が、物質界へと生まれることを選択して以来、私達は攻撃的な念により、お互いの《幽体》を傷つけ合い、性質の低い《幽気》によって《幽体》を穢し続けて、苦しみを拡大し続けてきたようです。

その結果、この物質界の霊的環境の悪化は、もはや限界を迎えつつあるようにさえ思えます。

今こそ、これ以上、私達の《幽体》が傷付き、穢れを増すことがないように、していかねばなりません。

そのための唯一の方法が、今、この世で肉体と共にある内に、《神伝の法(神伝禊法・神伝鎮魂法)》の《霊的トレーニング法》を習得し、日々、実習を続けることなのです。

それが、この世においても、肉体の死後、《幽質界》に入ってからも、真の意味で幸せに生きていくための、唯一の方法なのが現実です。

もし、《幽体》がボロボロに傷付き、穢れた状態のまま《死後の世界》へ入り、恐怖と苦痛に満ちた下の世界へ落ちてしまったら、取り返しがつかないのです。

繰り返しになりますが、所詮、肉体の脳では何も分かりません。

《神伝の法》の凄さは、実習してみた時に分かります。肉体の脳で分かるのではありませんが、「これを行うのが人間の真の姿だ」と、なぜか実感されるのです。

byなおいー

 

☆✉  メールフォーム  ✉☆

 

それでも神は存在する」への3件のフィードバック

  1. 「神」という言葉を、日常会話に軽々しく使うようになった事は、信仰心が無くなったからこそ出来るのかも知れませんね。

    なおいーさんと同じで、私も若い頃は「信仰心がある」と公言しても、「変わってる」と思われても、嫌がられることは無かったように思います。

    「水波霊魂学」を知れば、神霊の本当の意味が分かります。そうすれば、自称霊感があるとか、神の声を聞く人の正体が分かります。

    人類の始原を知れば、今やるべき事が分かります。

    人類の救いは、もう「神伝の法」しかないのです。

  2. 某教団の事件は、ほんの数十年前ですよね~。
    一気に宗教が嫌われてしまいましたよね(´・ω・`)
    確かに、怪しい宗教とか、勧誘のしつこい宗教とかもあるでしょうけど、
    でもそれで、神がいない、死後の世界は無いというのはおかしいです。
    もしも死んでから、死後の世界があって、神が存在していれば、今まで無視していた人たちは大変な目に遭うと思いますよ。

  3. 今から思えば、某教団が重大な事件を起こす前は、まだまだ良き時代でした。

    私が宗教に興味を持ったのは、某教団の事件以後なので、「良い時代」の記憶がありません。
    今も、中にはふつうに宗教的な話題を受け止めてくれる方がいらっしゃいますが、ごくわずかな人達に限られるように思いますし、昔がうらやましいです。

    ちょうど先日、友人と どうして人は「アマビエ」のような妖怪は求めて、神は求めないのだろう?という話題になりました。「神には嫌悪感がある人が多いかな。」と言っていた友人の言葉に、現代の問題がすべて表れているように感じました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です