アマゾンで本のタイトルを眺めていて、
ふと思ったのですが、
『勇気』という言葉の威力って、凄くありません?
『嫌われる』~~・・・ とか少し前にありましたけれど、
最後につけると、マイナスに思えることも、
言葉の威力で何やらカッコ良くなってしまうような気がします。
たとえば・・・
お芋が美味しい、この季節、
私は、あえて、痩せない『勇気』!(≧▽≦)✨
(←さつま芋、今年はよく育ちました。)
ほら!凄くないですか、
現実逃避なだけなのに、信念があるように見えませんか?(笑)
しばし言葉遊びして、一人で盛り上がっていました。
言葉って、怖くもありますね。
某国の大統領選の様子を見ていても、そんなことを思います。
私たち人間は、どう生きようと自由な生命体なのだそうです。
ですから、
神をも無視する自由、
高級霊魂を否定する自由、
そんな自由も、私たちにはあります。
さて、この自由を、皆さまならどうとらえるでしょうか。
この自由は、「勇気」なのか、はたまた「現実逃避」か?
決めるのは、個人の感性次第ですね。
ですが、契山館で霊的トレーニングをさせていただいてきた私は言いたいのです、
この自由は、人間にとって最大最悪の「現実逃避」なのでした。
このことに気付かないまま、どうか死なないでください。
気づくと、色々なことが見えてきますよ。本当に!
byゆず
私達は、現実を見つめる勇気をこそ、持つべきだと思います。
遅かれ早かれ、誰でも一人の例外もなく、肉体が死を迎えるという現実から、私達は目を逸らしてはならないと思うのです。
そうすれば、誰でも死んだらどうなるのか?死に備えて、今、為すべき事はあるのか?それらの答えが知りたくなるはずです。
それらの、最も正確で重要な答えが《契山館》にはあるのです。
「勇気」を検索したら、目にとまった言葉がありました。
「勇気は一瞬、後悔は一生」身にしみることわざですね。
私もそうですが、勇気を出せずに後悔ばかりしている人も多いのではないでしょうか?
さて、霊的真実は宗教からしか分かりません。宗教の門を叩くのは「勇気」がいりますが、水波霊魂学と神伝の法を知らずに死ねば、後悔は一生どころか、あの世に逝っても、悔やんでも悔やみきれません。
後悔する前に、契山館に問い合せて下さい。
人間の自由は、神様でさえどうする事も出来ないですもんね~。
なんとか、神を求めたり、死後の幸福を求めて欲しいです。
無視されたら、救いようがないです(´・ω・`)