《神伝の法》を行ずるしかない

同じようなテーマで、過去に投稿させて頂いたかもしれませんが、極めて重要なテーマですので、再度、投稿させて頂きます。

私が《契山館》の存在を知ったのは、2016年の年末か2017年の年始でしたから、間もなく4年が経とうとしています(2020年10月現在)。

そして、《契山館》に入会してからは約3年半、初めて《神伝の法(神伝禊法)》の合宿研修会に参加してからは、2年数ヵ月が経ちました。

それでは、《契山館》と出会うまでの間、私がどうしていたのかというと、数十年間の間、いくつもの宗教団体や、その類似団体に所属して、宗教教義を学んだり、その教えを実践する修行に打ち込んでいました。

それは例えば、「人間は神の子である」と強調する団体であったり、「教義を学びながら、反省行と愛行を実践して悟りを目ざす」所であったり、「心の波長を高めて、人格を向上させる」事を目指す団体であったりしました。

初めは、死への恐怖感から、《死後の世界》が存在するとの確証が得たくて、宗教的な世界に足を踏み入れたのですが、徐々に霊的に進歩・向上を目指すことが、第一の目的になっていったようです。

上記のような宗教的な活動を続けるうちに、少しずつ、《死後の世界》が存在するという確証は得られたようで、死ぬことへの恐怖心は薄れていきました。

しかし、霊的に進歩・向上したとの実感は、全くと言って良いほど、得ることが出来ませんでした。

例えば、50歳になった時の自分を、30年前の20歳の時と比較しても、内面はほとんど変わっていない。とても霊的に進歩・向上したとは思えない、というのが実感でした。

30年間、それなりに真剣に取り組んできても、進歩・向上することは出来なかった。ということは、あと30年間、80歳まで頑張っても、状況が大きく変わる可能性は低いと考えざるを得ませんでした。

人間とは、こんなにも変わることが出来ないものなのか?それは当時の私にとっては、大きな衝撃でした。

しかし、《契山館》と出会ってみれば、これは当たり前のことだったのです。

どんなに宗教教義を学んで知識を得ても、そして、その知識に基づいて修行をしても、それらは全て肉体の脳内の出来事であって、それらによって変化するのも、肉体を使っている表面の意識のみだったのです。

それはおそらく、人間の意識全体の、ほんの一部に過ぎず、一部の変化で、全体が進歩・向上することなど、あるわけがなかったのです。

たとえて言えば、全体の1パーセントが変わったところで、全体的には、ほとんど変化がないようなものでしょう。

人間が霊的に進歩・向上するためには、何よりも肉体と重なっていて、死後に入る《幽質界》で前面に出る霊的身体である、《幽体》の意識を進歩・向上させる必要があるのでした。

《幽体》の意識の中には、《霊的カルマ》と呼ばれる、各人の《過去世》での未浄化な思いが潜在しています。

しかも、《過去世》は1回だけではなく、複数回存在しているので、《霊的カルマ》は、とても複雑なものになっているそうです。

しかし、《幽体》の意識の中には、《幽質界》の上部に居た時の記憶ような、高級な部分も存在するようなのです。

ですから、私達が霊的に進歩・向上するためには、この《幽体》の意識の中の高級な部分を呼び起こし、未浄化の《霊的カルマ》を浄化する必要があると言えるでしょう。

そして、そのためには、《神伝禊法》を実習して、《指導霊》の方々に《高級な幽気》を降ろして頂き、その《幽気》を《幽体》で吸収させて頂く必要があるのです。

《高級な幽気》こそ、《幽体》が健康と活力を保ち、成長するための、不可欠の栄養素なのです。

結局のところ、どのような宗教や、その類似団体であるにせよ、そこで霊的に進歩・向上することが出来るかどうかは、《高級な幽気》を安全確実に降ろすための手法があるか否かにかかっています。

そして、その手法があるのは、《神伝の法(神伝禊法・神伝鎮魂法)》の指導が為されている《契山館》以外にはないのが現実です。

そもそも、肉体の脳で学んだ教義や修行法で、次元の異なる霊的身体である《幽体》が成長したり、その意識が進歩・向上するわけがなかったのです。

前記のように、私が初めて《神伝禊法》の合宿研修会に参加してから2年数ヵ月が経ちましたが、研修期間の数日間で実感した変化の大きさには、驚くしかありませんでした。

適切な言葉を見つけることが不可能なのですが、まるで別人になってしまったかのような、劇的な変化だったのです。

次元の異なる変化なので、単純に比較出来るものではありませんが、数日間で、それまでの数十年間の、数十倍にも数百倍にも、数千倍にも当たるような変化がありました。

そして、その後も、《神伝禊法》の合宿研修会に参加する度に、また、日々、自宅で実習する度に、変化を続けているようです。

もしかしたら、言葉で読むだけでは、《契山館》の主張も、数ある霊的な主張の一つにしか思えない方が、おられるかもしれません。

そうだとすれば、誠に、残念です。

私達は、それを客観的に証明する手段を持ちませんが、私には《神伝の法》こそが、人間が真の意味で救われるための、残された唯一の手段だと思えるからです。

真摯に霊的な真実を求め、霊的な進歩・向上を願い、真の救いを求めている方であれば、合宿研修会に参加し《神伝の法》を実習した時に、その真の価値に気付かされ、驚かされることでしょう。

一人でも多くの方に、少しでも早く、その日が訪れるよう願っております。

byなおいー

 

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《神伝の法》を行ずるしかない」への2件のフィードバック

  1. 霊的な修行法は、確実に変わっていきますよね~(´∀人)
    中から自然と変わっていくような感じなので、自分ではなかなか気付かないですけど、
    振り返ってみると、凄く変わっていますよ(*´艸
    *)

  2. 私も契山館に入会する前は、他の団体にお世話になったことがありますが、いつも矛盾ばかりでスッキリしませんでした。密教系の修行も少しばかり経験しましたが、何がどうなったのか良く分かりませんでした。

    「神伝の法」は確実に変わります。
    地上の霊的状況はかなり悪くなっているようなので、綺麗事は言ってられません。

    「神伝の法」しか救いは無いと思います。

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