イタリアこぼれ話(その2)「年長者にも敬語は使わない」

今回はイタリア語の2人称のお話です。

イタリア語の2人称単数には、親しい相手に対して使う「親称」と、親しくない相手に使う「敬称」があります。

一般的に日本語に訳す時は、親称は「君、お前」、敬称は「あなた」とする場合が多いようです。

昔は2人称複数にも、親称と敬称の区別がありましたが、現在では複数の場合の区別は、ほぼ消滅しています。

ところで、この親称と敬称ですが、日本語の「ため語」と「敬語」の区別とは、かなり異なるもののようです。

例えば私がイタリア在留当時、私より20歳は年上と思えるイタリア人と、よく一緒に活動をしました。当時、私は30代半ば、その方は50代半ばくらいでした。

私は日本人の感覚で、その方に対し、ずっと敬称を使って話していたのですが、何度目かに会った時に、「君はずっと敬称を使うけど、それは私とは親しくなりたくない、ということかね?」と、その方に言われてしまったのです。

日本人の私からすれば、父親のような年齢の方と、親称で話すなど考えられなかったのですが、イタリア人の感覚では、何歳離れていても、親しくなったら対等の友人関係を築くのが当然だったようなのです。

どうやら、私が距離を置きたがっていると、その方は受け取っていたようです。

私は敬意を表して敬称を使っていたのですが、私の敬意はイタリアでは通用しなかったのです。

こういったところにも、東洋と西洋の精神的な基盤の違いがあるようで難しいものです。もちろん、どちらにも良さがあるので、どちらの方が良いとか悪いとか、あるいは優れているとか、簡単に言えるものではないと思います。

結局のところ、イタリアでの2人称の親称と敬称を分ける基準は、心理的な距離のようです。

何歳、歳が離れていても、親しくなって心理的な距離が縮まれば親称、ビジネス上の付き合いのように、心理的な距離が遠い相手、言い換えれば、親しくなるつもりがない相手には敬称、ということのようです。

私にとって意外だったのは、イタリア人の神に対しての呼び掛けでした。

日本人の感覚では、神に対しては、最も敬意を払い、畏まった言葉遣いをするべきと考えるでしょうが、イタリア人の感覚は違うのです。

神は最も身近で、親より心理的な距離が近い存在だからこそ、親称以外には考えられないのです。

イタリア人にとっては、神に対して敬称を使うとは、神とは距離を置きたい、ということになるのでしょう。

本稿は、この世の「こぼれ話」ですので、この問題には、これ以上踏み込みませんが、日本とイタリアの、この感性の違いには驚かされます。

でも、日本でも親しい関係の人と喧嘩をしたりすると、急に言葉遣いが丁寧になる、などといういうことがありますね。どうもその辺の感性は、日本もイタリアも同じようです。

byなおいー

 

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イタリアこぼれ話(その2)「年長者にも敬語は使わない」」への3件のフィードバック

  1. 日本人の私は、神に対してはどうしてもイタリア人の感覚が理解できません(;゚ロ゚)

    最近テレビでよく見る、芸人でありユーチューバーのフワちゃんは、イタリアでは
    受けるのでしょうか・・・

    なんだか難しいですね!

  2. とても興味深いお話です。所変われば、ですね。
    神様への感覚の違いにも、とても驚きました。

    しかし、今の日本は、神様に対して親しみどころか、嫌悪感を持つ方も多いですし、高級霊魂方は常識の違いにさぞや頭を抱えておいででしょうね。

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